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絶望しそうになったら道元を読め! 『正法眼蔵』の「現成公案」だけを熟読する 光文社新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 光文社 |
| 発売年月日 | 2012/02/17 |
| JAN | 9784334036690 |
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絶望しそうになったら道元を読め!
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絶望しそうになったら道元を読め!
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商品レビュー
3.3
7件のお客様レビュー
曹洞宗の開祖道元の『正法眼蔵』は、日本語で初めて本格的な思想表現がなされた書で、日本仏教思想史の最高峰といわれています。 巻頭におかれた「現成公案」は、量は少ないですが、『正法眼蔵』を貫く道元の思想が、この短い文章に端的に凝縮されています。 修行に、人生に絶望しそうな者に、道元が...
曹洞宗の開祖道元の『正法眼蔵』は、日本語で初めて本格的な思想表現がなされた書で、日本仏教思想史の最高峰といわれています。 巻頭におかれた「現成公案」は、量は少ないですが、『正法眼蔵』を貫く道元の思想が、この短い文章に端的に凝縮されています。 修行に、人生に絶望しそうな者に、道元が語りかけるメッセージを丁寧に読み解きます。 きかんよりは見るべし。 見んよりは経べし。 いまだ経ずんば見るべし。 いまだみずんば風クべし 聞いたら、つぎは見なさい。見たら、つぎは体験しなさい。 体験していないなら、せめて見なさい。見ていないなら、せめて聞きなさ い。 ー 33ページ
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この本は、中野孝次さんの『道元断章』を読み終え、その続きでもっと道元を知りたくて読んだ本です。 そして、『正法眼蔵』のエッセンスである「現成公案」だけでも理解できたらと、山田さんのこの新書に出会ったのです。 序章 なぜ道元の「現成公案」を読むのか に始まり、 第1章「われ...
この本は、中野孝次さんの『道元断章』を読み終え、その続きでもっと道元を知りたくて読んだ本です。 そして、『正法眼蔵』のエッセンスである「現成公案」だけでも理解できたらと、山田さんのこの新書に出会ったのです。 序章 なぜ道元の「現成公案」を読むのか に始まり、 第1章「われ」は生滅している 第2章「われ」は根拠づけられている 第3章「われ」を肯定して生きる 第4章「われ」を世界におしつけない 第5章 身心を「脱落」させる 第6章 世界自体が「われ」である。 第7章 世界は「いま・ここ」の自己限定である 第8章「悟り」とはなにか 第9章「いま・ここ」から創造する 第10章 世界は「一」である 第11章 世界は「われ」の働きをふくむ 終章 道元は現実をどう描いたのか 後始末 現に生きているということ という内容ですが、山田史生さんなりの解釈ですが、道元が言わんとしたことをうまく表現できていて、私なりに「現成公案」が理解できました。 毎朝、般若心経を書いていますが、「無」とか「空」という概念を自分なりに感じていて、日々無心で書き続ける「修行」こそが、われ、いま・ここ、身心脱落、主客未分などなど、ふわっとですが、感じ取れることができました。
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『正法眼蔵』の「現成公案」の巻について、著者自身の解釈が展開されている本です。 移りゆく「諸法」に対する不生不滅の「仏法」を、著者は「絶対の無」として理解します。そのうえで、「絶対の無」は、「ある」ものが「ある」というしかたで現成している「場所」に、つねに自覚されているといい、...
『正法眼蔵』の「現成公案」の巻について、著者自身の解釈が展開されている本です。 移りゆく「諸法」に対する不生不滅の「仏法」を、著者は「絶対の無」として理解します。そのうえで、「絶対の無」は、「ある」ものが「ある」というしかたで現成している「場所」に、つねに自覚されているといい、その働きを「見るものなくして見る」ということばで説明しています。このほかにも、「前後ありといへども、前後際断せり」という道元の時間論を「永遠の今」ということばで読み解いており、哲学者の西田幾多郎の思想が著者の議論の背景にうかがえます。その一方で、著者は「頓悟禅」ではなく「漸悟禅」の立場に立つことを標榜しており、この点では西田や鈴木大拙らの禅理解から距離を置いているようです。 全体を通じて興味深く読みましたが、「絶対の無」や「永遠の今」といった哲学的な概念がやや無造作に用いられており、その理解に戸惑うこともすくなくありませんでした。ただ、西田を中心とする京都学派以降、積極的に道元を哲学的に解釈する試みはあまりなされておらず、道元にかんする本といえば、仏教学者による文献学的な議論か、さもなくば禅僧による「日々の心構え」的な講話ばかりが目につくなかで、本書のような試みがもっと積極的におこなわれてもよいのではないかという気がします。
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