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ビジュアル 日本史ヒロイン1000人 神話時代から現代まで、女性たちの歴史ドラマ
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 世界文化社 |
発売年月日 | 2011/03/10 |
JAN | 9784418112173 |
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ビジュアル 日本史ヒロイン1000人
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ビジュアル 日本史ヒロイン1000人
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万葉時代から戦後すぐ位までの(中には2011年の出版時点でまだご健在の人も)歴史上その名が残る女性たち1,000人の事典。 政治家、文化人、姫君、活動家、武将や幕末の志士の妻たちなどの実在人物に限らず、さらには古事記や源氏物語、歌舞伎などの物語のヒロインまで有名どころは大抵載って...
万葉時代から戦後すぐ位までの(中には2011年の出版時点でまだご健在の人も)歴史上その名が残る女性たち1,000人の事典。 政治家、文化人、姫君、活動家、武将や幕末の志士の妻たちなどの実在人物に限らず、さらには古事記や源氏物語、歌舞伎などの物語のヒロインまで有名どころは大抵載っている。 しかし1000人を288ページに収めているので一人ひとりの内容は深くはない。 誰もが知るような人は(お江や与謝野晶子、他)関連写真や肖像画の掲載もあり、大きく1.2ページ程割かれているが、知名度の低い人は残っている情報も少ないのか、写真もなく簡単に生まれと功績が紹介されているのみ。 漢字にルビが振ってあり、子供大人どちらにも楽しめるが、子供には聞き慣れない言葉も普通に使われている。(落飾、供奉、伍するなど) 調べながら読むと勉強になる事でしょう。 時代ごとに7章に分けられており、各章の最初に導入としてその時代の流れと年表がありわかりやすかった。 ビジュアル図鑑で紹介されている江戸時代のお菓子はどれも美味しそう。 現代のものよりも生地がぎっしりつまった、かすていら、食べてみたい。 ページの下にも時折ミニコラム『日本史見聞録』も興味深い。 桂昌院(お玉)の人生から、“玉の輿に乗る”という言葉が生まれたとか。 駒姫と両親が可哀想すぎる。 夫の罪で妻妾もその子も皆殺しなんてほんと酷い時代よなぁ。しかも強制的に嫁がされてすぐのことで助命許可の伝令が間に合わなかったというのがまた辛い。 西郷隆盛の奥さんとなった愛佳那さん、しかし島妻は連れて帰れないって何だそのルール。 戦意高揚の歌を歌うのを拒否したブルース歌手の淡谷のり子、アルト声楽家の柳兼子がカッコいい。 長谷川時雨、田中絹代、山田順子、原阿佐緒さんなど白黒写真でも滲み出る美人感にうっとりする。 現代日本で好まれる丸い童顔もとても可愛いらしいのだけど、お着物がよく似合って上品に見えるのは面長で鼻筋がスッとした印象の人だなぁ。 いつの時代も男に親に戦に国に翻弄されてきた女たち。 大変幸せな事に平成令和を生きる女である私は、女性だからといって嫌な思いをした記憶はない。 SNSでは男女の格差がまだまだ叫ばれているのを目にするものの、私個人としては現代日本は女性が生きやすい国ではないかと感じている。 苦難に押しつぶされそうになりながらも、礎を築いてくれた女性達のおかげだ。
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戦国の女性たちが避けて生きることのできなかった戦(いくさ)。自ら武器を手に戦った者も、籠城(ろうじょう)に耐えた者もいた。戦のなかで、女性たちはどのように生き抜いたのか? 淀殿(浅井三姉妹の長女、豊臣秀吉の側室で秀頼の母)に仕えたおきくの記録をもとに、その実態を探ってみよう。 ...
戦国の女性たちが避けて生きることのできなかった戦(いくさ)。自ら武器を手に戦った者も、籠城(ろうじょう)に耐えた者もいた。戦のなかで、女性たちはどのように生き抜いたのか? 淀殿(浅井三姉妹の長女、豊臣秀吉の側室で秀頼の母)に仕えたおきくの記録をもとに、その実態を探ってみよう。 * * * ■大坂城に火の手があがる 「焼けた」と騒ぐ声が聞こえた。そのとき、おきくは落城などとはつゆ知らず、いつものように下女にそば粉を焼かせていた。しかし、焼けたのはそば粉ではなかった。千畳敷(せんじょうじき)の間の縁側へ出てみると、あちこちに火の手が上がっているのが見えた。 おきくは急いで帷子(かたびら)と下帯(したおび)を3枚重ね、豊臣秀頼から拝領した鏡を懐(ふところ)にしのばせて城から脱出しようとした。侍が、侍女たちは外へ出てはならないと言うが、かまってはいられない。と、豊臣方の金の瓢箪(ひょうたん)の馬印が道端に落ちている。「敵方に拾われては恥となる」と、おきくはわざわざ引き返し、壊してから城外へ向かった。 ■壮絶なる脱走劇 城外へ出ると、平時とは一変した風景が広がっていた。戦場では身分などあてにならない。武士に金をよこせと脅され竹流し(竹筒に金銀を流し込んだもの)を与え、代わりに夏の陣まで父が仕えていた藤堂家(とうどうけ)の陣へ案内させようとした。そこへ、和議に奔走し城を落ちのびた初(浅井三姉妹の次女)の一行に出会い、しばらく付き従った。 やがておきくは松の丸殿(秀吉の側室)を頼ることを決め、初に従っていた秀頼の侍女とともに、京都・瑞泉寺(ずいせんじ)へ向かった。道中も大坂の落人(おちゅうど)ということで軒先(のきさき)も貸してもらえず、同行した侍女の親戚の家でやっと匿(かくま)ってもらうことができた。 淀殿・秀頼らは落城の数日前より山里曲輪(やまざとくるわ)に籠(こ)もっており、おきくも、その最期を見届けることはなかった。 戦後、おきくは松の丸殿に仕えてから備前(びぜん)に嫁ぎ、83歳で没した。おきくはこの時の壮絶なる体験を、のちに備前池田藩の藩医の孫・田中意徳に語った。さらに意徳がその話を他の者に語り継ぎ、『おきく物語』として現在に伝えられている。~『ビジュアル 日本史ヒロイン1000人』より * * * 歴史の本を読むと、落城後の落人の記述は「城から出た」等の1行で終わりますが、考えてみれば「命からがら逃げて」きたわけです。その“命からがら”のさまをこうして知ることができるのも、おきくさんが長生きし、語り継いだればこそ……ですね。
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