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なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて

ジェームズ・ロバートブラウン【著】, 青木薫【訳】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 2010/11/19
JAN 9784622075585

なぜ科学を語ってすれ違うのか

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商品レビュー

3

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2014/05/12
  • ネタバレ

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2014年の5月は、某科学者がマスコミに叩かれた直後ということもあり、科学とは一体何なのかということを考えるのには丁度良いとも言える。自分自身この本を読んで一種のパラダイムシフトが生じたし、政治と教育が結びつくことで衆愚が生じるということについて改めて考えさせられた。 私はエンジニアであるが、科学とくに「法則」「定理」などについては無条件で信じて疑うことをしていなかった。本書で言うとのころの「科学」は非民主主義的であるというところにまんまと陥っていたとも言える。つまり、私が信じていた「科学」とはその科学の持つ価値観において不合理な部分を無視することで成り立っていたということだ。 まさか、政治と科学を同じ土俵の上で論じれるとは思ってもいなかったので本書は「目からウロコ」であった。しかし、これは自分にとっても新しい発見であった。つまるところ、私は「政治」というものについて嫌悪の感情を抱いていた。なぜなら科学のような客観性がなく、主張するものの価値観においての意見が提示されるという不合理さを感じるからである。しかし、この本では、科学ですらも、その主張を行う科学者およびそれが所属するグループの思想により生じる「フィルター」により歪められているとということを述べている。 何かにまい進するためには一旦「思考停止」してことに当たるということは必要である。しかし、「思考停止」しっぱなしでは停滞が訪れる。つまり成長とは、世界に対する認識を都度捉えなおすこと、視座の変化が必要になるということである。例えば「最近イノベーションを起こせていない」ことを問題視する組織があるとする。それは視座の変化を拒否していることに他ならない。まずは、そこを変えることが必要だ。 ちょっと前の自分だったら「科学は政治と同等ぐらいにしか正しいというものではない」という概念を受け入れることはできなかった。しかし、今はとても納得できる。仏教でいうところの「無常」である。すべては変化しているということへの理解である。 とある事件もマスコミの報道は一方的な論調によるものになっている。確かに「手順」に関する落ち度は自分でも酷いと思う。しかし、本当にそれだけなのだろうか。他にも問題はあるのではないだろうか。あの研究者の実験は今までの研究では切り開けなかった新しい可能性をもった別パラダイムのものなのではないだろうか。一方的な考えの押し付けはヒトラーのそれと同じだ。

Posted by ブクログ

2012/12/28

いっぱい人の名前が出てきてよくわかんない本だった。 結局、それで誰が損得するのかというのが判断基準になるという自分の考え方は間違ってなかったと思う。

Posted by ブクログ

2012/01/23

内容は深いのですが、読むのがしんどかったですね~ マイケル・サンデルの議論よりも数段深いでしょう! 書評に、 「じつに良く書けている。できるだけ幅広い層に読んでほしい」 とあるのは、その通りだと思いますが、 "控えめにいっても、それは無茶と言うもの"...

内容は深いのですが、読むのがしんどかったですね~ マイケル・サンデルの議論よりも数段深いでしょう! 書評に、 「じつに良く書けている。できるだけ幅広い層に読んでほしい」 とあるのは、その通りだと思いますが、 "控えめにいっても、それは無茶と言うもの"でしょうね! 個々の話題は興味深いのですが、ストーリー展開・主張は難しいですねー。 「ブラウンの語り口は平易だが、  盛り込まれている内容は濃くて難しい。  (現代の哲学・思想と量子力学とではどちらが難しいかと   問われれば、わたしは本気で考え込んでしまう)」 と訳者あとがきにある通りです。

Posted by ブクログ

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