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街場のメディア論 光文社新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 光文社 |
| 発売年月日 | 2010/08/20 |
| JAN | 9784334035778 |
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街場のメディア論
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商品レビュー
4.1
315件のお客様レビュー
・一緒に革命できるかという判断基準。 ・メディアは世界の成り立ちに迫れるかが価値。 ・弱者を一次的に正義として扱うのは方便。 ・言葉の重みや深みというのは、それを書いた個人が、その生き方を通して「債務保証」するものである。 ・少しでも価値判断を含むものは、そのコンテンツの...
・一緒に革命できるかという判断基準。 ・メディアは世界の成り立ちに迫れるかが価値。 ・弱者を一次的に正義として扱うのは方便。 ・言葉の重みや深みというのは、それを書いた個人が、その生き方を通して「債務保証」するものである。 ・少しでも価値判断を含むものは、そのコンテンツの重みや深みは、固有名を持った個人が保証する他ない。 ・だが、今あるほとんどのコンテンツは定型だ。 ・メディアの暴走というのは、最終的な責任を引き受ける個人がいないからだ。 ・「真に個人的な言葉」というのは、ここで語る機会を逃したら、ここで聞き届けられる機会を逃したら、もう誰にも届かず消えてしまう言葉。 ・「私が存在しなくなっても誰も困らない」言葉を使っていると自分を損なう。 ・メディアの衰退は、「どうしても言いたいこと」ではなく「誰でも言いそうなこと」だけを選択的に語っているうちに、存在しなくても構わないことに気づかれた。 ・「世論」というのは「誰もその言責を引き受けない言葉」。「誰でも言いそうなこと」「誰かが言う事」「黙っていで平気なこと」 ・どうせ口を開くなら「自分がここで言わないと、多分誰も言わないこと」 ・人間を人間たらしめている能力「贈与をうけたとおもいなす」能力。 ・宗教=世界を「絶対的他者からの贈り物」とみなす力。 ・ ・自分の中に「命が危うくなるとたちまちそれを否定する言葉」がどのくらい含まれている。 ・市場経済が始まる前から存在したものは商取引のスキームにはなじまない。 ・人と付き合うときに知るべきことは、その人が「本当は何者であるか」ではなく「どんな人間であると思われたがっているか」。 ・世界を意味で満たし、世界に新たな人間的価値を創出するのは、人間のみに備わった、このどのようなものをも自分宛ての贈り物だと勘違いできる能力。
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この本が刊行されて早15年が経ち、当時は黎明期だったSNSも今や立派なメディアである。さて、この本を通じて、マスメディアの構造や、内部にはらむ慢性的な問題について認識できた。この廃れた内部構造も知らずに、のうのうとテレビを見ていた私は今思えば、無垢っぷりも甚だしいこと。では、SN...
この本が刊行されて早15年が経ち、当時は黎明期だったSNSも今や立派なメディアである。さて、この本を通じて、マスメディアの構造や、内部にはらむ慢性的な問題について認識できた。この廃れた内部構造も知らずに、のうのうとテレビを見ていた私は今思えば、無垢っぷりも甚だしいこと。では、SNSが出てきた現在、メディアを取り巻く問題はどのように変化したのか?SNSは、著者の述べる「ミドルメディア」に該当し、半分は著者の希望通りの変化だ。しかし、私たちは、よりメディアリテラシーを求められるようになっただろう。
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p.210 「この「あとがき」を書いているのは二〇一〇年六月中旬、……本書では特に既存マスメディア(新聞、テレビ、出版社)に対して、たいへんきびしい言葉を書き連ねました。……十年後もあいかわらずテレビではどの局も同じようなバラエティ番組を放送し、新聞は毒にも薬にもならない社説を掲...
p.210 「この「あとがき」を書いているのは二〇一〇年六月中旬、……本書では特に既存マスメディア(新聞、テレビ、出版社)に対して、たいへんきびしい言葉を書き連ねました。……十年後もあいかわらずテレビではどの局も同じようなバラエティ番組を放送し、新聞は毒にも薬にもならない社説を掲げ、インスタント自己啓発本がベストセラーリストに並んでいる……というようなことになった場合には、ほんとうにお詫びの申し上げようもありません。」 と書いてあるが、何のことはない、二〇一〇年当時の内田が望んだ十年後にはならなかった、というだけのこと。 内容自体は今でも読める。当時と今とでメディアをめぐるあれこれに大した変化は起きていない。 強いて言えば、ウソ・デマ・デタラメ・誹謗中傷の類を政治家が取り繕わずに多用するようになった、というくらいか。 過去に自分が書いた展望は間違っていたと訂正する、なぜ自分が考えたようにはならなかったのかを反省し、何を見逃していたのかを再考熟考する、というような誠実さとでも言うべきものがこの人にあるのかどうか、わたしはまだ確認していない。
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