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政治神学
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政治神学

カール・シュミット(著者), 田中浩(訳者), 原田武雄(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 未来社
発売年月日 1981/12/01
JAN 9784624300135

政治神学

¥1,980

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4.3

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みんなの感想まとめ
  • 国家法主権の考察
  • シュミット批判の視点
  • 政治神学の深層
  • 例外状況の決定論
  • 1920年代ドイツの政治
  • 権力本質の探求
  • 現代政治への示唆
  • 全体国家観の理解
  • 決断主義の論理
  • 精緻な思考の展開

国家、法、主権についての深い考察が展開され、特に「主権者とは、例外状況にかんして決定をくだす者」という主張が印象的です。この作品は、カール・シュミットの理論を通じて、権力の本質を鋭く見抜く視点を提供します。読者は、1920年代のドイツを背景にした政治や国家、国民の関係をリアルに感じることができ、まるでその時代に生きているような錯覚を覚えます。「国家とは何か」を再考させられる内容であり、現代においてもなお重要な示唆を与えてくれます。シュミットの精緻な論理展開は、全体国家観や決断主義の理解に役立ち、今後の政治的思考においても価値のある一冊です。

※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。

2026/06/07

描いてることが当たり前だがその当たり前を作ったことを考えるとカールシュミットは偉い それに主権者とは? について詳しく知ることは国民一人ひとりが主権者などというありもしない貴族主義的な民主主義という建前の元では実に分からやすい権力の見抜き方を教えてくれる

Posted by ブクログ

2025/01/21

ナチス前夜、1920年代ドイツという背景の上での政治、国家、国民についての論考を読んでいると、その時代にリアルタイムに生きているような錯覚をももたらしてくれる。 「国家とは何か」という論題を考えることも無くなった今の時代からタイムスリップしたような感覚である。 というか、感想の文...

ナチス前夜、1920年代ドイツという背景の上での政治、国家、国民についての論考を読んでいると、その時代にリアルタイムに生きているような錯覚をももたらしてくれる。 「国家とは何か」という論題を考えることも無くなった今の時代からタイムスリップしたような感覚である。 というか、感想の文体までタイムスリップしてしまったようだ。

Posted by ブクログ

2020/08/11

まとめ  シュミットは秩序と法秩序を区別する一方、その双方を規範から切り離し、決定に結びつけた。この特殊な操作によって、法秩序を乗り越える決定が可能となり、例外的状況(=法が停止された秩序)さえも法律学の枠内の問題にとどまることとなった。ここにおいて冒頭の有名な定義、「主権者とは...

まとめ  シュミットは秩序と法秩序を区別する一方、その双方を規範から切り離し、決定に結びつけた。この特殊な操作によって、法秩序を乗り越える決定が可能となり、例外的状況(=法が停止された秩序)さえも法律学の枠内の問題にとどまることとなった。ここにおいて冒頭の有名な定義、「主権者とは例外状況に関して決定を下す者をいう」も有効となる。この定義のもとでは、決定者の非人格性を議論すること自体が無意味化し、ケルゼンの純粋法学は主権概念を無視していると非難されることになる。  こうした主権概念と対応して、シュミットは法律学的諸概念の社会学を「歴史的−政治的現実の法律学的形態化が、形而上学的概念ととさ合致する構造をもつ、一つの概念を発見しえたことを示す」ことであると定義する。ここから逆説的に、法律的概念には神学の領域にまで押しすすめられる論理一貫性が前提にあると結論づけられる。つまり、国家理論は神学でなければならないとされるのである。この前提に立った時、人格的要素が排除された科学性の表現としての民主主義は政治的形而上学には理解し得ないものと化す。  自由主義については、決定を回避するという性質からして主権概念とは無関係であるばかりでなく、それ自体の矛盾を抱えたまま永遠の対話の中に解消してしまおうという宗教にすぎない。一見すると経済的要請(商業と産業の自由)によっているかのようでも、それは単に派生物に過ぎない。  最後に無政府主義については、人間の本性について生まれつき善であると考える点ではたしかに政治的である。しかし、人間の内在的な真及び美を否定する「神学」を排除することは、結局それに伴って政治理念を消し去ってしまうことであり、奇妙な逆説を生むことになる。  以上の検討から、決定主義的国家理論(シュミットは反革命的国家哲学者をその代表として論じる)だけがとりうる道として残される。ところが、現実にはもはや王はおらず、新たな王を生じさせる理論もない。そこで、ついには正統性の廃棄に到り、絶対的決定へ国家を還元することになる。これはすなわち独裁である。 感想  シュミットは自分に都合の良い結論を導くために、遡って前提を立てている。しかもその結論は、自身の主張以外を議論の埒外へ追いやってしまうものであり、到底納得できるものではない。それにもかかわらず、その前提が簡潔で容易に反駁しづらく、議論も緻密であることから、前提か結論の誤りを指摘するだけでは本質的な批判とならないところが厄介である。頭では誤りであると分かっていても、その議論の痛快さに惹かれてしまうのも否定できない。  試みに、2、3批判を提示すると、まず本書では「法」を意図的に実証主義的な意味でのみ用いることで、「権利基底的な秩序」、「社会の自生的な法による秩序」、「経済的利益に基づく秩序」といった一般的な秩序の概念を、最初から議論の外へ追い出してしまっていることが指摘できる。しかしこの批判にもかかわらず、法秩序を「法による秩序」ではなく「決定による秩序が偶然法規範に一致している状態」とする議論の斬新さは、むしろ既存の議論の陳腐化、退屈さにたいして魅力的な要素となってしまっているのである。  次に、自由主義についてはフランス革命以後をひとまとめにブルジョワ法秩序としているが、これは今日的には非常に粗雑な議論であって到底通用するものではない。自由主義と言うだけでも、少なくとも古典的自由、リベラル、新自由主義はそれぞれ全く異なる性質を持つものであるし、近代法とブルジョワ法と現代法はそれぞれ異なった分析が必要である。とはいえ、こういった分類に定説があるわけではなく、専門的で些末な議論と見えてしまう。  このように、単純な批判では枝葉末節の指摘とならざるを得ないところがシュミットの恐ろしさであり、残念ながら今日においても克服すべき障害としてなお屹立している。

Posted by ブクログ

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