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伊藤博文 知の政治家 中公新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
| 発売年月日 | 2010/04/25 |
| JAN | 9784121020512 |
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伊藤博文
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伊藤博文
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商品レビュー
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伊藤博文 知の政治家 中公新書 2051 著:瀧井 一博 出版社:中央公論新社 伊藤博文(18411016~19091026)の半生を描いたのが本書です 彼の顔とは、明治憲法(大日本帝国憲法)の立案者、初代内閣総理大臣、そして、朝鮮総監である 西洋列強の日本の植民地化という...
伊藤博文 知の政治家 中公新書 2051 著:瀧井 一博 出版社:中央公論新社 伊藤博文(18411016~19091026)の半生を描いたのが本書です 彼の顔とは、明治憲法(大日本帝国憲法)の立案者、初代内閣総理大臣、そして、朝鮮総監である 西洋列強の日本の植民地化という国難を、国内統一、明治維新として成し遂げたのが、大久保利通や西郷隆盛といった世代でした。 伊藤博文や、山県有朋らは、そのあとの、近代日本の整備発展という課題を担わなければならなかった、次の世代になります まずしい農民(卒族)として生まれた伊藤は、長州藩にて、吉田松陰の松下村塾に入塾する機会を得、安政の大獄で松陰獄死のおりには、その遺骸を引き取るという役回りも得た。 イギリスへの短期留学を行い、ついで、アメリカへもわたっている伊藤がそこで得たものとは、まず、堪能な英語力であった。 次に、金本位制を中心とする、通貨と国債制度。伊藤は、経済にも明るかった。 そして、岩倉使節団の副団長として、再び、ヨーロッパへ。 その過程で、政府の統治機構とは、制度設計と、憲法を中心とした議会制度であると確信する 再び、憲法調査のために、ヨーロッパに渡る そこで、ウィーンでシュタインにであり、彼の国家学に感服する シュタインの説く国家学とは、憲法を頂点とする政府の組織行政であり、 憲法とは、単なる法典ではなく、国家構造、政治の在り方を規定する側面をも考察する 伊藤は、憲法検討の過程で、全国に、その重要性を知らせるために、講演におもむいている 伊藤の考える政治とは、文明、立憲国家、国民政治であり、憲法と、議会はその両輪をなす重要な根幹なのである 伊藤の考える憲法とは、天皇を中心とする立憲国家であると同時に、国民が政治の中心となる基礎なのである そういう意味であれば、初代の首相が、彼であったことは日本にとって、幸運だったといえる。 あと、印象にのこったのは、陸軍との軍令の扱いだ。 伊藤は、軍令も、内閣の統制下に置くべきであるとの立場をとったが、山県は、軍令はその限りにあらずとした。 当時は、軍が暴走することなど視野にはいれてはいなかったが、近代日本が、朝鮮、満州、台湾とその統治対象が広がるにつれて、管理統制の分散化が問題になっていく。日本政府、帝国議会が天皇をふくめて、各所で発生する問題にタイムリーに対応ができなくなっていく 軍令問題は、やがて、昭和において、軍の暴走を招いていくこととなる。 目次 はしがき 第1章 文明との出会い 第2章 立憲国家構想―明治憲法制定という前史 第3章 一八九九年の憲法行脚 第4章 知の結社としての立憲政友会 第5章 明治国制の確立―一九〇七年の憲法改革 第6章 清末改革と伊藤博文 第7章 韓国統監の“ヤヌス”の顔 あとがき 注記 文献略記 参考文献 伊藤博文年譜 ISBN:9784121020512 判型:新書 ページ数:400ページ 定価:940円(本体) 2010年04月25日発行
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「伊藤博文と日韓併合」 https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51878747.html
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明治初期の政党政治のプレイヤーとして大隈重信や板垣退助が名高いが、その政党政治の制度設計をしたのが伊藤博文という印象。立憲政友会を作りプレイヤーとしても参加しているが、高い理想と現実の政局のギャップに苦しみ、党運営はあまり上手くいかなった。 滞欧憲法調査を経て、大隈重信ら在野の知...
明治初期の政党政治のプレイヤーとして大隈重信や板垣退助が名高いが、その政党政治の制度設計をしたのが伊藤博文という印象。立憲政友会を作りプレイヤーとしても参加しているが、高い理想と現実の政局のギャップに苦しみ、党運営はあまり上手くいかなった。 滞欧憲法調査を経て、大隈重信ら在野の知識人や井上毅ら政府内の知識人を凌駕するほどの立憲制についての見識を得た。まさに副題のとおり、知の政治家である。
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