商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2006/02/16 |
JAN | 9784003104125 |
- 書籍
- 文庫
腕くらべ 新版
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腕くらべ 新版
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商品レビュー
3.8
7件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
この作品は正直、現代人には解説を読まないと理解できないと思う。人情や粋を大事にする江戸文化と、金銭を最優先にする現金な資本主義時代の対比がそこにはあるそうで、主人公の駒代はその時代の狭間で揺れ動き、結局新時代の人間にはなりきれず、新時代派の新しい芸者に敗れてしまうが、それがまさに江戸文化と資本主義時代との橋渡しになっていて、且つその駒代が敗れることが新時代への批判になっているらしい。 駒代と争って勝つ側の芸者には、粋も人情も関係なくただ身体を売ることにしか興味のない菊千代がいて、この人は駒代にふられた吉岡とのちに一緒になるが、吉岡も花柳界通を自負しながらも実は人情にも粋にも通じていない俗人。駒代が吉岡を捨てて惚れ込んだ瀬川もやはり人情には通じていない人間で、持参金つきの芸者・君龍と一緒になり、駒代のプライドを傷つけるが、この君龍をかわいがり、駒代を疎んじた瀬川の母が京都人という設定で、計算高い人物として描かれている。 フランスから帰朝した作者は江戸文学に浸ったそうで、新しい日本が資本主義を旗印に古きよきものを価値のないもののように捨て去っていくのをみて憤ったというか、悲しんだというか、とにかくに馴染めなかったらしい。それで、廃れゆく運命にあると悟ったその江戸文化を文章にとどめ、ようと思ったかどうかは知らんが、とにかくにそれと新時代を対比して、守銭奴の幅を利かす資本主義時代を批判するために本作を書いたらしい。『ふらんす物語』ですでに当時の政府を批判する内容を書いて発禁となり、本作でもこりずに政府の方針と社会の変貌を批判する永井おじさんの儚い抵抗に心打たれる。 心打たれるとかいいつつも、解説よむまでは退屈でしかなかった。吉岡も瀬川も菊千代もそのほか色々とでてくる人物もなぜか粒ぞろいに小憎たらしいやつばかりで、駒代は駒代で器量よしの負けん気がつよい人物ながらどこか頼りなく情けないところが多い。結局はそれが永井おじさんの狙いだったわけだが、知らずに、というか気づけずに読んでいたので、安っぽい筋書きとしか思えなかった。 p.138に「南巣は紅葉眉山ら硯友社の一派にもさしたる関係なく、……新文学も知らず、逍遙不倒ら前期の早稲田派とも全く交遊する機会なく、……」なんて書かれているのは自分自身を言ったのではなかろうか。何にしても、新時代と旧時代の対立を描くことが主眼なので、物語として読んでワクワク、ドキドキするような代物ではそもそもなかったのだと解説読んではじめて気づいた。 伊藤整が、小説を読むことは時代を知ること、みたいなことを書いていたが、筋を辿ってドキドキしようとしていた、それも明治・大正の文学にそれを期待していた自分が浅はかだったと気づき、反省させられた。
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図書館で借りた。 永井荷風の小説。岩波文庫としては緑色で”現代文学”だが、既に100年以上前の作品だ。 「君はウイスキイだったね」「いや、ビイルにする。おい、ボオイさん…」この語感だけでも頭の中に浮かぶ色合いが変わってくる。 花柳界を舞台とした人間模様が描かれ、近代日本の”どらま...
図書館で借りた。 永井荷風の小説。岩波文庫としては緑色で”現代文学”だが、既に100年以上前の作品だ。 「君はウイスキイだったね」「いや、ビイルにする。おい、ボオイさん…」この語感だけでも頭の中に浮かぶ色合いが変わってくる。 花柳界を舞台とした人間模様が描かれ、近代日本の”どらま”を楽しめる作品だ。 朝の通勤電車で読むには濃い内容だったが(笑)、個人的には苦手な小説モノの中でも読み込めたと思う。
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1917(大正6)年、荷風38歳。中期の傑作とされる小説。 西洋近代小説的な結構を持ち、ゾラやモーパッサンの影響が窺え、特に荷風自身が翻訳したこともあるゾラの『ナナ』を連想させる。ナナに該当する新橋の芸者駒代を軸に、徐々に多くの登場人物があらわれて、さまざまな人間関係の変遷を...
1917(大正6)年、荷風38歳。中期の傑作とされる小説。 西洋近代小説的な結構を持ち、ゾラやモーパッサンの影響が窺え、特に荷風自身が翻訳したこともあるゾラの『ナナ』を連想させる。ナナに該当する新橋の芸者駒代を軸に、徐々に多くの登場人物があらわれて、さまざまな人間関係の変遷を経て主人公が不幸に陥っていく。が、ゾラほど激烈な破滅に進むのではない。 驚いたことに、本作には濃厚なセックスシーンが描写されており、江戸の春本みたいになる箇所がある。これは大正時代の青年たちを刺激したことだろう。 文体は明解だが、ときどき江戸時代の読み物の文体に近くなるのが面白い。句読点などで区切らない名詞の並列が、どこで区切れるのかと瞬間的に考えさせられる。 最初の方で、駒代が吉岡なる男に身請けを誘われて何となくその気になれず返事をしないが、離れるでもなくこの関係を維持しつつ、役者をやっている瀬川を突然誘惑し、こちらに惚れ込んでいく成り行きを読むと、この女性の浮気っぽさに男としてはちょっと気に入らないところではある。しかし、そのように不安定なところがありしばしば打算に揺れるものの、総じて駒代は魅力的に描かれている。裏切られた吉岡や、かつて駒代に吉岡を奪われた別の芸妓などが、復讐を図り結局駒代は情人瀬川にも捨てられて没落する。 浮薄だったり金権主義的だったり打算的だったりする俗物たちを多く描いており風刺的な小説だ。それでいて、随所が味わい深い文学性が見られ、美しさに溢れた作品である。さまざまな要素で立体的に構成された奥深さを持つし、この時代の東京の芸妓のシステムもよく分かって興味深かった。良い本を読んだ。
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