商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2009/10/20 |
JAN | 9784106103339 |
- 書籍
- 新書
日本語教のすすめ
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日本語教のすすめ
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商品レビュー
3.8
17件のお客様レビュー
これまでいくつかの言語学関係の新書で読んだ興味深いエピソードの出典が、この本であったことに驚いた。 日本語には人称代名詞が存在しない、という主張はユニークで、かつ、なるほど納得。 「それどころか欧米諸国によって、外国に一切迷惑をかけない国のあり方である鎖国から無理に引きずり出...
これまでいくつかの言語学関係の新書で読んだ興味深いエピソードの出典が、この本であったことに驚いた。 日本語には人称代名詞が存在しない、という主張はユニークで、かつ、なるほど納得。 「それどころか欧米諸国によって、外国に一切迷惑をかけない国のあり方である鎖国から無理に引きずり出された日本が、どの国の植民地にもならず独立国として生きるための富国強兵を目指す過程で、彼らに纏って持った植民地を日本語で統治したことすら、日本の恥ずべき国家的暴虐行為として非難し弾効する『日本人』が大勢いるのです。 しかしこれらの人々はイギリスやフランス、そしてロシアやスペインなどが、長きは数百年にわたる植民地支配の過程で自国の言語を現地民に強制したからこそ、現在、世界では英話を日常使う国が五十以上、フランス語を社会の重要な言語とする国が約四十、そしてスペイン語が約三十でロシア語が二十ヶ国あまりといった具合になっているのだということを知っているのでしょうか。外国が堂々とこんなにも長きにわたって手広くやった悪行には目をつぶって、自分の国のことだけを針小棒大に非難し弾劾するのでは、およそ公平な歴史感覚の持ち主とは言えません。」 ここに著者の感情が露見している。 私も基本的には同意する。 内田樹「日本辺境論」の前に読んでいたら、もっと興奮しただろうと思う。
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訃報をきいてから書店に行ったら目についたので入手。 学生時代に『日本語と文化』『日本語と外国語』(岩波新書)などあれこれ読んでとてもお世話になったが、最近(といっても10年以上前)のこれは読んでいなかったな、と。
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「しょうもない愛国本じゃないの」かと疑っていたが、日本語や言語というものの奥深さを感じさせられた。 日本人が言語について自虐的な見方をしているとの問題意識を背景に、日本語の世界をもっと広げていくことを目的とする「日本語教」を広めよう...という筋書きで、日本語と他言語の比較を通...
「しょうもない愛国本じゃないの」かと疑っていたが、日本語や言語というものの奥深さを感じさせられた。 日本人が言語について自虐的な見方をしているとの問題意識を背景に、日本語の世界をもっと広げていくことを目的とする「日本語教」を広めよう...という筋書きで、日本語と他言語の比較を通して、どちらの言語が優れているとかいう訳でなく、日本語には日本語なりの面白い世界があるということを、様々な例で紹介している。 なぜ古代ギリシャ語ではクジラと蛾を同じ単語で表すのか、に対する答えや、日本語で人称代名詞は欧米と使い方がどう異なるのか、など、ちょっとしたトリビアから英語を勉強した人ならなんとなく考えたことがありそうなことなどについて、筆者の身近な経験を踏まえて説明しているため、かなり楽しく読むことができた。 「日本語教信者になって日本語を世界に広めるべきだ」とまで熱くはならなかったし、現実的にそこにエネルギーを使う意味は何かまではわからなかった。しかし日本語のわかる自分が日本語のことをまだよく分かっていないのはもったいない、もっと自分の使う言語の深みを知りたい、と興味がそそられた。 なお、「大東亜戦争」という呼称や植民地戦争に対する見方など、やや国粋主義的に思える違和感のある表現もあり、筆者のその姿勢には全面的に賛成できない。ただし筆者の指摘する「日本語が劣等言語というのはおかしい」という点については、その通りだと思った。また、言語により他国と交渉をすることで武力行使ではなく外交による平和を実現するためにも日本語の弱みである「他動機能」的用法の不用意を解消していこう、という提言はとても面白かった。 そして言語も自由で流動的に変わっていくものであり、それは自分たちが変えて意味を与えていけるようなものなんだと気づいた。日本語はこんなところが弱いからどうやったら、「翻訳調」にならずに弱いところをカバーしていけるかな、とか、主体的に、客観的に自分の言語というものを俯瞰的に分析できるんだと目を開かされた。例えば上記の「他動機能」の弱みを日本語でどう解消すべきか、考えられるようになったといえる。あるいは、英語とその翻訳による文献ばかりの 「Non Violent Communication」と呼ばれるような自己主張に関わるコミュニケーション論についても日本語で考えるとどうなるだろうかというのも考えたい。
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