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自由と公共性 介入的自由主義とその思想的起点
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自由と公共性 介入的自由主義とその思想的起点

小野塚知二(著者)

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自由と公共性 介入的自由主義とその思想的起点

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本経済評論社
発売年月日 2009/06/01
JAN 9784818820548

自由と公共性

¥3,520

商品レビュー

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2014/03/15

現在の政治の根拠とされる介入的自由主義について書かれた本である。日本は自由主義の国と言われるがその根拠の脆弱さに気づくとともに、エコシステムとしての国や社会のあり様を考えさせられた。 そもそも政治にさほど関心もなく、しかしうっすらと今のままではまずいという雰囲気だけを感じている身...

現在の政治の根拠とされる介入的自由主義について書かれた本である。日本は自由主義の国と言われるがその根拠の脆弱さに気づくとともに、エコシステムとしての国や社会のあり様を考えさせられた。 そもそも政治にさほど関心もなく、しかしうっすらと今のままではまずいという雰囲気だけを感じている身には、全部が理解できているとは言い難い。しかしながら、かなり苦しいピッチングで論が展開されているのだけは分かる。簡単に言えば言い訳の本である。 科学の世界では超撥水と超親水はほぼ同じだとされる。社会主義も自由主義もスタートが異なっているだけで本質は一緒であり、元が違うからと忌み嫌うのは全く理性を欠いている。出来るだけ国が決めて後から改善するか、自由に任せるが問題が生じたらそれに対策を打つかの違いだけである。本質から目を背け片方から書こうとするから無理が出る。相容れないと決めつけるから分かりにくい。そんな印象である。 システム屋としての教訓は、手法にこだわるうちは一人前ではないということ。異なるアプローチの人、団体と付き合うとしても、その立場を尊重するだけでなく、自分もそのやり方をたまにはとってしまえば良い。それぐらいのことは必要だと言うことだ。 ユニバーサル•サービスの提供を使命にされた会社もあるが、そもそも平等とは何なのかは全員が納得する定義はない。社会はそもそも互助で成り立っている筈なのだがそれが途切れているコミュニティが存在できるのが現代である。つまるところ、自由主義にはもはやそれを支える基盤は無いと言える。 この本はそんな時代の自分の立ち位置を否応無く考えさせるものだ。

Posted by ブクログ

2009/08/20

『最初の近代経済』と関連して グローバル化の起源はなにか? ■悠久の過去からの普遍的な傾向■ 『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』に代表されるように、アフリカを起源として、人類が世界に広がっていったという、人類の歴史そのものであるという立場がある。 ■実態経済の発展...

『最初の近代経済』と関連して グローバル化の起源はなにか? ■悠久の過去からの普遍的な傾向■ 『グローバリゼーション 人類5万年のドラマ』に代表されるように、アフリカを起源として、人類が世界に広がっていったという、人類の歴史そのものであるという立場がある。 ■実態経済の発展?■ 16世紀の大航海時代、18世紀のイギリスの工業化を起点と考える歴史家は多く、またその大半が一般の常識に反して、現在の世界はなお、その水準を回復していないと感じている。移民のような労働力の国際移動などを指標とすれば、両次大戦期の閉鎖傾向の傷跡が今も深く残っているのである。 ■金融資本主義の広がり?■ 他方、金融や情報を基盤として、グローバル化を定義すると、その起点は17世紀のオランダということになる。商業・金融を主体とした近世オランダ経済こそが、「持続的成長」」の開始という意味で、最初の近代経済であったと定義するのが『最初の近代経済』である。 --- グローバル化への関心は必然的に自由主義への関心をも呼び覚ます。金融グローバル化の地域社会にとっての功罪を図るには、新自由主義の評価こそが不可欠となる。実は、かつて、新自由主義はオランダやイギリスが推進した自由貿易主義と19世紀からの巨大企業の伸長に反対する立場を指したという。近年の「新自由主義」を弁別し、 ■新自由主義の自己責任論と福祉国家論の総括■を考えることが求められる。 『自由と公共性』(小野塚知二著)『アダムスミス』(中公新書)などの力を借りて、自由放任主義の道徳的意味の再考を求めていく必要がある

Posted by ブクログ

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