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カラヤンがクラシックを殺した 光文社新書
902円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2008/11/13 |
JAN | 9784334034832 |
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カラヤンがクラシックを殺した
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カラヤンがクラシックを殺した
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商品レビュー
2.6
15件のお客様レビュー
指揮者として他に例を見ないほどの地位、名誉、そして破格の収入と財産を築き上げたカラヤン。彼が何を考え、どのように歩んでいたのか。 それは音楽性とは無関係とは言えないが、多分に政治的な権力を行使してきた結果でもある。
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カラヤンによってクラシックは大衆に消費されるものになってしまったことを舌鋒鋭く批判している本です。 著者は本書を「精神史」の方法にもとづいて執筆したと述べており、アドルノを思わせる消費社会と大衆に対する呪詛のことばがつづられるとともに、カラヤンがそうした二十世紀の動向にみごとに...
カラヤンによってクラシックは大衆に消費されるものになってしまったことを舌鋒鋭く批判している本です。 著者は本書を「精神史」の方法にもとづいて執筆したと述べており、アドルノを思わせる消費社会と大衆に対する呪詛のことばがつづられるとともに、カラヤンがそうした二十世紀の動向にみごとにこたえるような天才性をもっていたことを、皮肉めいた筆致で論じています。そのうえで、オットー・クレンペラーの「世界苦」(ヴェルトシュメルツ)と、ヘルベルト・ケーゲルの「絶望」に、現代のクラシック音楽を取り巻く閉塞した状況から脱する道筋を見いだそうとしています。 本書の議論そのものはおおむね興味深く読むことができました。ただ、本書で批判されているような芸術を取り巻く消費社会的な状況は、まさにそれに対する批判をも取り込んでしまうものだという点にかんする自覚がないことに引っかかりをおぼえます。手に取りやすい「光文社新書」というレーベルから刊行されている本書は、カラヤンを批判することでクラシック通を気取りたい、わたくしのような「大衆」に消費されて終わることになるでしょう。この点で、著者にはまだ、絶望が足りないのではないかといわざるをえません。
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議論はシンプルで、「高尚で深刻であるべき(という前提でいいのかはともかく)クラシック音楽を、安っぽいエンタテインメントに堕さしめたカラヤンの罪は重い」というもの。 まあ一理はありそうに思いつつ、この情報過多の大量消費時代にはカラヤン独りが悪いわけではなく、その結節点にカラヤンも...
議論はシンプルで、「高尚で深刻であるべき(という前提でいいのかはともかく)クラシック音楽を、安っぽいエンタテインメントに堕さしめたカラヤンの罪は重い」というもの。 まあ一理はありそうに思いつつ、この情報過多の大量消費時代にはカラヤン独りが悪いわけではなく、その結節点にカラヤンもいた、というだけだろう。 後半はカラヤンと対置してクレンペラーやケーゲルといった深刻系の指揮者についての語りが入る。「世界苦(ヴェルトシュメルツ)」という単語がたびたび出てくるように、(クラシック)音楽には苦悩や狂気が必要なんだけど、カラヤンには見られないか薄いらしい。 もっとも、そのキーワードに対して「「世界苦」などという余計な感傷を無視しさえすればカラヤンのオペラは存分に楽しめるものに仕上がっている」というくだりがあるように、要は「カラヤンってダメだよね、まあどうでもいいんだけど」程度の話なんである。 しかもダメと言いつつ、最後にはもっとカラヤンを聴けと結ばれていたりして、論旨は分裂して見える。カラヤンへの歪んだ愛なのかなぁ。 この本ダメだよね、まあどうでもいいんだけど。
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