商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 小学館 |
| 発売年月日 | 2008/09/30 |
| JAN | 9784096221105 |
- 書籍
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徳川の国家デザイン
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徳川の国家デザイン
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商品レビュー
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・15~16世紀は戦国大名、土豪・地侍を担い手とする一揆や惣など様々な規模・形態と地域権力組織があった。 ・徳川国家はキリスト教禁止と身分社会を国是とした。 ・中世では市街地の中に武家屋敷が点在していたが、信長は二条城のまわりに武家屋敷を配し、その外に市街地を付属させた。 ・15...
・15~16世紀は戦国大名、土豪・地侍を担い手とする一揆や惣など様々な規模・形態と地域権力組織があった。 ・徳川国家はキリスト教禁止と身分社会を国是とした。 ・中世では市街地の中に武家屋敷が点在していたが、信長は二条城のまわりに武家屋敷を配し、その外に市街地を付属させた。 ・1584年の小牧長久手の戦いに勝てなかった秀吉は信長以来の軍事的全国統一路線を放棄し、天皇権威に依存した関白型の政権樹立へシフトした。聚楽第築城に始まる一連の京都改造は、天皇権威に寄りかかりながら京都を武家の首都につくりかえようとする試み。一方、大阪は京都を吸収することができず、秀吉一族の私的な城下町として大阪の役を迎えることになる。 ・秀吉は京都の外縁(伏見)に武家政権の首都城下町を築き、そこから京都をコントロールしようとした。家康もこの手法を継承。家康は伏見を司令塔としながら、前線基地として京都の内部に二条城を創出。 ・関ヶ原の戦いまで大名の多くは伏見に屋敷を与えられ、伏見が統一政権の首都だった。家康が将軍になったあとは、大阪の役にかけて主な大名は次々と江戸に屋敷地を与えられた。 ・秀吉は刀狩り・検地によって各地に形成されていた諸権力(土豪が地域を管理するシステム)を解体し、全国的規模で村と町を再配置して身分制国家を目指した。個々の人間がいずれかの身分に所属しているのが大事であり、逸脱者が問題なのであって必要に応じた身分移動は許された。 ・戦国時代、戦国大名の家臣団は武装自弁であったが、信長・秀吉軍は兵糧米を兵士に支給することで機動性を高めた。米の収穫を基準にする石高制は、膨大な米の徴収と備蓄の必要性からくるものと考えられている。 ・秀吉・家康はキリシタン弾圧と貿易振興を別個の課題として進めた一方、秀忠・家光は両者を合体させ。鎖国と呼ばれる管理貿易を完成させた。 ・家康は秀吉の侵略型路線を修正し、安定した国家外交と国家管理の貿易体制の樹立を目指した。(具体的には各国への国書送付と朱印船制度の創出) ・秀忠は南蛮船の入港地を長崎・平戸に限定。朱印船貿易制度については引き続き推奨。家光は南蛮船入港地の限定に加え、日本人の海外渡航を禁じることで禁教と貿易振興の統一を図る。日本人の渡航禁止により、制海権掌握型の交易政策から外国船管理型の交易政策へ。 ・家綱の時代に物流が整備される。寛永通宝の大量鋳造(寛永通宝自体は家光の時代に鋳造開始)、秤の公定、升の統一、東廻り・西廻り航路の開拓など。これらによって、全国を結ぶ内国経済のネットワークができあがる。
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中央図書館で読む。再読です。以前、どこで読んだのか記憶にない。興味深い本でした。興味を持ったのは、キリスト教です。キリスト教への態度は、3つの選択肢があると指摘している。第1に、キリスト教を全面的に受け入れることである。大名がキリシタンになることも許される。貿易の利益も大きい。第...
中央図書館で読む。再読です。以前、どこで読んだのか記憶にない。興味深い本でした。興味を持ったのは、キリスト教です。キリスト教への態度は、3つの選択肢があると指摘している。第1に、キリスト教を全面的に受け入れることである。大名がキリシタンになることも許される。貿易の利益も大きい。第2に、キリスト教は認めないが、貿易は許す。現実には、難しいでしょうね。第3に、貿易も、キリスト教も禁止する。信長は、第1の政策でした。寺社等の既存の宗教勢力と戦うためには、悪くない同盟相手だったのでしょう。秀吉は、第2の政策である。何故、秀吉は政策を変更したのでしょう。キリスト教そのものなのでしょうか。それとも、背後にある領土的野心なのでしょうか。よくわかりません。家康は、第3の政策でした。清、朝鮮との比較も面白かった。日本は俊敏ですね。この俊敏さを失いつつあるような気がします。そろそろ、店じまいでしょうか。
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装丁の美しさと、タイトルの良さに惹かれて手に取りました。 よくよく見たら、歴史大全ものの1冊だときづいたものの、出版社の売る気満々的な雰囲気が伝わり読む事に。 ちなみにアートディレクションは、原研哉。 内容的には、戦国末から江戸初期(四代家綱)までの国政・地方の城下町・村・臣...
装丁の美しさと、タイトルの良さに惹かれて手に取りました。 よくよく見たら、歴史大全ものの1冊だときづいたものの、出版社の売る気満々的な雰囲気が伝わり読む事に。 ちなみにアートディレクションは、原研哉。 内容的には、戦国末から江戸初期(四代家綱)までの国政・地方の城下町・村・臣民などに分けて解説しています。 今までの歴史大全ものと違うのは、屏風絵の解説から入るあたり。 「洛中洛外図屏風」・「築城図屏風」といった屏風絵から、当時の風俗や政治状況などを読み解く。 ただ、屏風絵自体のレイアウト面積が小さいのと、解説と屏風絵のポイントのリンクが丁寧ではないため、分かりにくかったりします。 このへん強化したら、クオリティメチャメチャ上がると思うのですが・・・・。 特に1607年からはじまる、駿府城普請を描いた「築城屏風」絵図は解説と供にじっくり楽しみたかった。 また、為になったのは、日光東照宮に関する記述。 家康の神号については、吉田神道にもとづく明神号賜与となるはずだったのが、天海僧正の反対で山王一実神道になったということ。 天海が山王権現を推薦した理由としては、「自分は三界すべてに存在し、衆生はことごとく自分の子供である」と宣託されたあたりであるとか。 本書では、この山王權現こそが、キリスト教の一神教的な考え方と対決できる、日本の唯一の神であったのではないかとの説を唱えている。 農と自然に関する記述も面白く、徳川時代における農村の山野は、草柴山と木山が半々であったということだ。 山といえば、樹木が生い茂ったイメージしかもっていなかった私には新鮮であった。 特に里山のかなりの部分は草柴であったという。 理由は牛馬の飼い葉と農作物の肥料として、草柴が重宝されたからであるという。 ただ、そこには自然破壊という問題も含んでおり、大雨や台風の場合、草柴の山は地滑りを起こし、土砂が川へ流れ込むために洪水などを引き起こす原因となったらしい。 この、徳川時代の農民が自然との共生に苦心するあたりの記述が、眼の覚める思いでした。 また、細かい記述ですが、1701年に調べた中村藩15000軒の住民に対して、馬が17000弱いたというあたりであったり(さすが馬追の町!)、雨乞いの祈りが、能・踊り・相撲・競馬・火灯し・千度参り・絵馬など多彩であったことなど、この本を読まなかったら分からない部分は結構補足されました。
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