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イワン・デニーソヴィチの一日 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2000/03/18 |
JAN | 9784003263518 |
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イワン・デニーソヴィチの一日
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イワン・デニーソヴィチの一日
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商品レビュー
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ドストエフスキーの『死の家の記録』と並ぶ、著者本人の体験を小説として書いた獄中記。スターリン批判をしたとして懲役8年の刑を宣告されたイワン・デニーソヴィチ・シューホフの、刑期の中のある一日に収容所生活の全てを凝縮させて描いている。 「ラーゲリ囚人がわがために生きているというの...
ドストエフスキーの『死の家の記録』と並ぶ、著者本人の体験を小説として書いた獄中記。スターリン批判をしたとして懲役8年の刑を宣告されたイワン・デニーソヴィチ・シューホフの、刑期の中のある一日に収容所生活の全てを凝縮させて描いている。 「ラーゲリ囚人がわがために生きているというのは、朝は朝めしの十分間、それに、昼めしの五分、それから、夕めしの五分だけだ。」(p.20) 過酷で非人間的な、しかも極寒の環境の中での殺伐とした生活が午前5時から始まるが、不思議と悲壮感がない。むしろ当時のラーゲリの実態がわかる貴重な記録、第一級史料としての面白さに引き込まれていく。 シューホフは看守をうまくやり過ごすための心理戦を繰り広げ、飄々と立ち回り、心の中でソヴィエト政権を痛烈に皮肉る。そして強制労働では仲間と声をかけ合いながら一生懸命に取り組み、そこにやりがいを見出し、粗末な食事を心から味わって食べる。読んでいるうち、その姿に深い感動がこみ上げてくる。 「いま、彼の頭にあるのは―――生きのびてみせる!ということだけ。なにがなんでも耐えて生きのびるんだ、神のお思召できっとつとめあげる!」(p.167) 常に監視され、抑圧され、罵声の飛び交う収容所生活でなぜこれほど前向きになれるのか。囚人同士の交流から伝わる人の心の温かさ、何ものにも屈しない強靭な魂に胸を打たれる。
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理不尽な収容所での生活を淡々と書いており、最後は"暗い影のちっともない、さいわいといっていい一日だった"という文章で締めている。その淡々とした筆致からうっすら入ってみたいと思うくらい(絶対嫌ですが)。ギャップが面白い。 解説で紹介されていたロシアにおける「ポーシロスチ」という言葉が指し示すものが興味深い。
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ソヴィエトの作家ソルジェニーツィン(1918-2008)が、スターリン専制下のソヴィエト体制に於ける強制収容所(ラーゲリ)の実態をリアリズムで描き東西両世界に大きな衝撃を与えた、1962年作。彼自身、1945年に友人の手紙の中でスターリンを批判したとして逮捕され、1956年のフル...
ソヴィエトの作家ソルジェニーツィン(1918-2008)が、スターリン専制下のソヴィエト体制に於ける強制収容所(ラーゲリ)の実態をリアリズムで描き東西両世界に大きな衝撃を与えた、1962年作。彼自身、1945年に友人の手紙の中でスターリンを批判したとして逮捕され、1956年のフルシチョフによる「スターリン批判」の時代まで収容所や流刑地を転々とし、そこでの体験が本作の下地になっている。 その100年前、専制君主ニコライ一世統治下のロシアでぺトラシェフスキー事件に連座しシベリア流刑を体験したドストエフスキーの『死の家の記録』(1862年作)を思いながら読んだ。 欺瞞的にではあれ「社会」によって担保されていた「人間性」が剥奪され裸形の一存在と成り果てた精神と肉体に、政治権力の殆ど剥き出しの暴力が直接作用する場である「収容所」。それを生み出す「収容所的なるもの」が、政治的存在たることを免れ得ぬ我々人間の内に皆無であると、断言できるか。現代の我々の「社会」それ自体が、柔和な顔をした「収容所」でないと、断言できるか。本書は、そうした自己省察を突きつけてくる。 "ラーゲリの作業班というやつは、おえら方が囚人を駆りたてずに、囚人同士がお互いを追いたてるようにする仕組みだ。・・・。働かねえのか、この野郎、貴さまのためにおれが腹へらさなきゃならねえってのか? ふざけるな、働きやがれ、くそ野郎!" "囚人の最大の敵は誰か? 別の囚人だ。" "噛る者はかじりっぱなし、噛られる者はかじられっぱなし。" "きっと奴らがいちばん癪にさわるのは囚人が朝めし後ぐうすかねることなんだろう。" 半世紀前に綴られた言葉に、現在と如何ほどの距離があるだろうかと暗然たる思いがする。政治という暴力を支える我々の内なる支配と抑圧の精神性は、何も変わっていないのじゃないか。
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