商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 創元社 |
発売年月日 | 1999/03/01 |
JAN | 9784422111988 |
- 書籍
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新訳 孤独
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新訳 孤独
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読みたい。 piii 創造的な思考はおそらく、誰からも干渉されない孤独な長い期間と情緒的な要求が何もない状態を必要とするのである。 pv しかし私は、到着することよりも希望に満ちた旅を続けることのほうがよいという考えを、いつももっている。そして、できるかぎり遠くへと旅をしたい...
読みたい。 piii 創造的な思考はおそらく、誰からも干渉されない孤独な長い期間と情緒的な要求が何もない状態を必要とするのである。 pv しかし私は、到着することよりも希望に満ちた旅を続けることのほうがよいという考えを、いつももっている。そして、できるかぎり遠くへと旅をしたいと思っているのである。 p40 一九五八年に、ウィニコットは、精神分析の古典になっている『独りでいられる能力』という論文を出版した。その中で、彼は次のように書いている。 精神分析の文献においては、独りでいられる能力についてよりも、独りでいることの恐怖や独りでいたいという願望について書いた論文の方が多いと言ってもよいであろう。また、かなりの量の研究は、引きこもり(孤立)の状態、すなわち、迫害の予感を暗示する自己防衛態勢についてのものである。独りでいられる能力がもつ積極的な側面についての議論がすでに始まっていなければならないと私には思われる。 p41 仲間を避けようとしたり、病的に孤立している子どもたち、つまり、ウィニコットが言及している「引きこもり状態」にある子どもたちも存在するけれども、楽しんでいる子どもをそのような子どもたちと混同してはならない。独りになって想像力を働かせているような子どもは、秘められた創造能力を発現させるかもしれないのである。 p53 したがって、独りでいられる能力の発達は、脳がその最良の状態で機能するためにも、個人が最高の可能性を実現するためにも、必要なことであると思われる。人間は容易に自分自身の最深部にある要求や感情から遊離してしまう。学習、思考、革新、そして自分の内的世界との接触を維持すること、これらはすべて孤独によって促進されるのである。 p58 服喪もまた、非常に長期にわたるかもしれない過程の一つの例である。ギリシアの田舎では、肉親を失ったは女性は五年間喪に服さなければならない。この期間には、肉親と死別した女性は黒の服を着て、毎日故人の墓に参り、まず死者と語らいことから始めるのである。しばしば、墓は擬人化される。すなわち、墓に参るとか、墓の手入れをしに行くとは言わないで、女性は、夫や娘のところへ行ってくるという表現をする。このような定められた儀礼は喪失という現実を強調する効果を持つ。 p61:名言 休暇は、日々繰り返される決まりきった仕事からの逃避である。私たちが休暇が欲しいと感じるときは、しばしば「変化」を欲しがっているである。休暇と変化作り出す能力は連携して進展する。 p68 個人と絶対なるものとの間にあるすべての障害物を克服するこの体験は、非常に神秘的な偉業である。神秘的な状態において、私たちは絶対なるものと一つになり、そして一体になったことを自覚する。 p70 恍惚とした一体感の体験は、ときとして、死の受容、あるいは死の願望にさえ結びついている。恍惚とした一体感の原型として、性愛的情熱を理想化したワグナーは、楽劇『さまよえるオランダ人』の終幕に、ゼンタの愛と自殺による放浪者の救いの場面を配している。 p71 グリン・ベネットは、彼の『忍耐の限度を越えて』という本の中で、孤独な旅に伴う、自分自身と一つである、また宇宙と一つであるという大洋感情について書いている。そのような経験の追求は、そのような旅の一つの理由を構成している。しかし、そのような経験は自殺の誘惑を伴侶にしているかもしれない。ベネットは、フランク・マルヴィルの例を引いている。 p192 ものを書くことは治療法の一形態である。書いたり作曲したり描いたりしない人はみんな、いったいどうやって、狂気やうつ状態、人間の境遇には付き物の追い詰められるような恐怖から逃げおおせるのかと、私はときどき不思議に思う。-グレアム・グリーン p253 カント、ヴィトゲンシュタイン、そしてニュートンはみんな、ほかの点ではどれだけ異なっていたと、独創的で抽象的な思考をする巨大な能力を共有する天才であったが、そろって他の人間との親密な愛情関係を欠いていた。実際、彼らが妻や家族はもっていたら、彼らの業績は不可能であっただろうと主張しても筋が通るであろう。というのは、高度な抽象概念に到達するのは、孤独と強い精神集中が続く長い期間が必要であるが、このような時間は、もし人間が配偶者や子どもたちの感情的な要求に振り回されていたら、確保するのがむずかしいからである。
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