商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 彰国社 |
発売年月日 | 2008/04/10 |
JAN | 9784395012084 |
- 書籍
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代謝建築論
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代謝建築論
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4.1
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か、かた、かたち か 構造的段階 かた 技術的段階 かたち形態的段階 どれかに偏るわけでもなく、これら3つを横断しながら、スタディしていくことを学んだ。 ただ、まだ難解な部分も多く読み直したい。
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思考の「か」、知識の「かた」、感覚の「かたち」。中心にある「か」から、広がり大きくなり連なっていく、「かた」「かたち」という在り方。そうやって、導かれる方法論という筋道があることを、建築家が期待し、それによって設計を繰り広げたいと思い描くことは、当然のなりゆきだ。 でもぼくは、...
思考の「か」、知識の「かた」、感覚の「かたち」。中心にある「か」から、広がり大きくなり連なっていく、「かた」「かたち」という在り方。そうやって、導かれる方法論という筋道があることを、建築家が期待し、それによって設計を繰り広げたいと思い描くことは、当然のなりゆきだ。 でもぼくは、まるで反対であるように、それこそ筋道を認識している。 はじめに、無限性というままの「か」思考がある。そして、それはどこまでもいつまでも同じように有り続ける。それをひとは「かた」知識によって、制限するというベクトルを取ることでようやく、手の届くものとして扱うことができるようになる。人の手に負える世界に落とし込むことができる。そうやって、限定し、縮小していくことで、ひとが為すことが実体となって、置き換わっていく。結果的にして、出来上がったものに対して、感覚が働き、「ひとつ」の世界を認識できるようになる。はじめには大きかったものを、どんどんと小さくしていくことで、ようやく、ひとの手に届く、ひとが範疇にできる、世界が姿を表すことができる。そうやって、小さくなっていくには、何を手に取らないか、選ばないかという、捨て落としていく行為が必要になる。その必要に対して、自覚的なのか、意識的でいられるのか、がきっと肝心なところだ。圧倒的なその他を置き去りにしていくために働く自分という意識を、振る舞いをどの程度にまで、解像度を上げて、精彩にして、部分も全体も、等価にして、自分というものと同義にして、認識を持ちうることができるか、ということだ。 その、辿る筋道にこそ、デザインすることが表れてくる。そのようにしてしか姿形を残せないものがデザインという意味だと、僕は認識しているということだ。
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○藤村先生が引用していた本。 https://twitter.com/masahiro_sekine/status/1344364252975439872 ・建築は、設計によって社会と接触し、社会的矛盾を発見する。 ・かたち(感覚)かた(知識)か(思考) ・「か」とは、か...
○藤村先生が引用していた本。 https://twitter.com/masahiro_sekine/status/1344364252975439872 ・建築は、設計によって社会と接触し、社会的矛盾を発見する。 ・かたち(感覚)かた(知識)か(思考) ・「か」とは、かくあるべきもの、かくあるもの ・機能は失われても、形態は主張し続ける。 ・計画者としての建築家を、全人的、神のような存在におくことになってしまう。 ・「かた」は、誰が考えても究極的にはそこにゆきつくもの。 ・ギリシア的芸術観は、技術と模倣。ロマン派的芸術観は、天才と独創。 ・空間の秩序こそ、建築の本質。 ・柱は空間に場を与え、床は空間を限定する。 ・水平な支持面が基本。 ・闇に無限の空間を感じる。 ・建築技術は、設備によって左右されるようになってきた。 ・思想とは、行動の原理。 ○「か・かた・かたち」の捉え方は、建築だけでなく、地域課題の発見・解決や、研修設計という自分の仕事にも活かせる!
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