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アイゼンハワー政権の封じ込め政策 ソ連の脅威、ミサイル・ギャップ論争と東西交流
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アイゼンハワー政権の封じ込め政策 ソ連の脅威、ミサイル・ギャップ論争と東西交流

佐々木卓也【著】

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アイゼンハワー政権の封じ込め政策 ソ連の脅威、ミサイル・ギャップ論争と東西交流

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 有斐閣
発売年月日 2008/02/29
JAN 9784641173408

アイゼンハワー政権の封じ込め政策

¥3,410

商品レビュー

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2011/12/23

アイゼンハワー政権は、ソ連の軍事能力に大きな関心を寄せながらも、その軍事的意図に対しては落ち着いた見解を取っていた。 ソ連がスプートニクの打ち上げに成功したときは、アメリカは危機感と絶望感に襲われた。 アイゼンハワーはソ連の脅威の本質を的確に認識していた。冷戦は、単なる軍事的な闘...

アイゼンハワー政権は、ソ連の軍事能力に大きな関心を寄せながらも、その軍事的意図に対しては落ち着いた見解を取っていた。 ソ連がスプートニクの打ち上げに成功したときは、アメリカは危機感と絶望感に襲われた。 アイゼンハワーはソ連の脅威の本質を的確に認識していた。冷戦は、単なる軍事的な闘争ではなく、それはまさに2つの生活様式の争いであった。 アイゼンハワーはあくまでも着実なペースで軍備強化を図る決意だった。 アイゼンハワー大統領とダレス国務長官が封じ込め政策を実施するうえでなにより注意したことは、長期にわたる軍事費負担の問題であった。 フルシチョフはアメリカ訪問時にアメリカを満喫した。 ソ連との間では軍事的抑止が成立した以上、軍事力をさらに強化することの軍事的意味が乏しいと思われ、また対外援助の増額が難しい状況の中で、アイゼンハワー政権がソビエト体制の進化を促す有力な手段として推進したのが人的、文化的交流だった。

Posted by ブクログ

2011/03/30

 冷戦期のアメリカ外交史において、第一線で研究する佐々木卓也立教大学法学部教授の15年ぶりの単著である。 【構成】 第1章 アイゼンハワー政権の安全保障政策の基本方針  1、アイゼンハワー政権の発足  2、大量報復戦略の選択  3、奇襲攻撃の危険とミサイル開発計画 第2章 冷...

 冷戦期のアメリカ外交史において、第一線で研究する佐々木卓也立教大学法学部教授の15年ぶりの単著である。 【構成】 第1章 アイゼンハワー政権の安全保障政策の基本方針  1、アイゼンハワー政権の発足  2、大量報復戦略の選択  3、奇襲攻撃の危険とミサイル開発計画 第2章 冷戦の変容と封じ込め手段の多様化  1、ソ連の新たな脅威  2、ソ連の経済挑戦と第三世界  3、ミサイル開発と大陸防衛計画  4、大量報復戦略をめぐる論争  5、東西交流の開始 第3章 スプートニク、ゲイサー報告書とミサイル・ギャップ論争の始まり  1、ゲイサー委員会の設置  2、ゲイサー報告書の議論  3、ゲイサー報告書をとりまく内外の情勢  4、アイゼンハワー政権の最初の反応 第4章 「全面的な冷戦」  1、アイゼンハワー政権の対抗措置  2、高まる政治的圧力  3、ミサイル・ギャップ論争の激化  4、大量報復戦略をめぐる議論  5、米ソ文化・技術・教育交流協定の締結 第5章 東西交流の拡大と深化  1、内外の挑戦  2、博覧会と冷戦  3、モスクワ・アメリカ国家博覧会の実施  4、フルシチョフの訪米 第6章 ミサイル・ギャップ論争の進展と東西交流  1、アイゼンハワー政権の落ち着き  2、U2機撃墜事件と文化交流の継続  3、アイゼンハワー外交の結末  前作はトルーマン政権期における「封じ込め」の生成、展開を論じたわけだが、今作は続くアイゼンハワー政権を扱っている。主として、NSC文書やFRUSなどの国務省文書、CIA文書などに依拠した実証研究であり、戦後アメリカ外交史の一大潮流である「アイゼンハワー修正主義」の色彩が色濃い保守本流とも言える外交史研究である。  かのジョン・ルイス・ギャディスのStrategy of Containmentという著名な文献のタイトルからも知れるように一般に「封じ込め」とは対ソ軍事戦略として認識されてきた。 そのためこれまでの研究は米ソの軍事技術・軍拡競争にばかり目が向けられてきた節がある。  しかしながら本書はタイトルの「封じ込め政策」というところからも推察できるように、軍事戦略以外の幅広い対外政策を包含した外交方針として、アイゼンハワー=ダレスが推進した全面的な「封じ込め」を論じている。  トルーマン政権は1950年に出された文書NSC68を期に大軍拡を方針を固め、朝鮮戦争勃発もあって恒常的に500億ドル以上の軍事費を国家予算から拠出する姿勢を維持した。  これに対し、アイゼンハワーはその政権の全期間を通じて軍事費の抑制と、ソ連の軍事力と拡大意思を冷静にとらえることを主張した。国防省やJCSが主張する通常戦力の維持増強ではなく、抑止力としての核戦力の整備が大統領の意向であった。  スプートニクショック以後、実際には存在しないミサイルギャップという幻影におどらされ、民主党や強硬派からの突き上げによりアイゼンハワー政権の求心力は低下するが、それでも一貫して文化交流や博覧会の開催などを通じて「非軍事的手段」によるソ連圏の緩やかな変容と崩壊をめざした。  ケネディの派手な青臭さとは対称的に、慎重・着実・現実主義に徹したアイゼンハワーの外交姿勢が緻密に描かれておりあまり知識を持ってない人間でも十分に理解できる内容である。

Posted by ブクログ

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