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怖るべき子供たち 角川文庫クラシックス
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 角川書店 |
発売年月日 | 1990/06/01 |
JAN | 9784042047018 |
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怖るべき子供たち
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怖るべき子供たち
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商品レビュー
3.3
52件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
タイトルしかしらない状態で手に取ってみた。 文章が華美でドラマチック。 詩的すぎてなにが起きているのかわかりにくい。 このタイプの文学に触れるのが久しぶりすぎて読む能力がにぶってる。慣れるまで大変。 最初はヘッセみたいな美化された少年期系かなと思ったけどそうでもなく、カミュのような不条理でもなく。近いけどなんか違う。 なんだろう。よくわからない。多分私にこの種の読み取りセンスがないだけだけど。 偶像を崇める露悪的な少年たちの話、じゃないな。 まだ時期じゃないのに卵の殻を割られ「もう大人」として扱われる"小さいお母さん"が未成熟な雛のまま養分を失った殻の中で朽ちていく話として読んだ。 全然違う物語だけど『ずっとお城で暮らしてる』https://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4488583024を思い浮かべてた。 池田満寿夫の表紙の四十五版で読んだ。 画像の赤い表紙は美しくない。 小佐井信二の解説はこれ解説か?相手無視で自分の語りたいことだけ勝手に語る野良ガイドっぽい。フランス文学構文なんだろうか。
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原題 LES ENFANTS TERRIBLES やるべきことをやるのが大人で、やりたいことをやるのが子供。イギリスの格言だったかな?紳士の定義だったような…。 大人は誰しも初めは子供だった、と言ったのはサン-テグジュペリですが、コクトーは永遠の子供を詩ってみせた。 純粋で...
原題 LES ENFANTS TERRIBLES やるべきことをやるのが大人で、やりたいことをやるのが子供。イギリスの格言だったかな?紳士の定義だったような…。 大人は誰しも初めは子供だった、と言ったのはサン-テグジュペリですが、コクトーは永遠の子供を詩ってみせた。 純粋で無垢なまま。まさに詩の表現そのもの。 エリザベートとポールの姉弟は破滅したようで、してないんじゃないかな。当然の帰結のようで、行き着く先は望んだところ、だったように思える。 みんな子供の頃には自分だけの世界があったはず。望んで大人になったわけじゃない。今思えばすごく不安定だけど、安らぎも確かにあった。 自分だけの、自分だけが理解できる世界。世間のルールなんて知らない。そこだけで生きられるなら、もう何もいらない、というような。 自分の思い通りにいかないジレンマ、他人が意のままにならないストレス、どうしようもないことに悲観し、躊躇なく自らの命を絶つ。 欲望に忠実で、美しいまでに迷いがない、怖るべき子供たち。
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詩人ジャン・コクトーの代表作。ポールとエリザベートという姉弟の異常な愛憎劇と、彼らを取り巻く友人関係が、作品を貫く鮮烈な死のイメージとともに描かれる。物語はポールの心情変化を転換点として四幕(①雪合戦から母の死まで、②海への滞在からアガートの登場まで、③エリザベートの結婚から彼...
詩人ジャン・コクトーの代表作。ポールとエリザベートという姉弟の異常な愛憎劇と、彼らを取り巻く友人関係が、作品を貫く鮮烈な死のイメージとともに描かれる。物語はポールの心情変化を転換点として四幕(①雪合戦から母の死まで、②海への滞在からアガートの登場まで、③エリザベートの結婚から彼女の暗躍まで、④ポールの衰弱から姉弟の死まで)に分けることができる。①と④を繋ぐのはダルジェロという少年に対する憧憬だ。彼によってもたらされる白の雪玉と黒の毒薬は、本作に秘められた甘美な毒性を表すと同時に、ポールの心的変化を象徴する小道具としても機能している。 本作では子供たちが暮らす「部屋」を舞台に見立てた演劇的手法が用いられ、密室劇の様相を呈している。「部屋」を埋め尽くす雑多な装飾は小道具として、大人たちの存在は――子供たちの演劇を理解し得ない医師やジェラールの叔父――我々読者とは異なった次元において、ある種の観客として作用している。現実の演劇に際して、観客は演者の内面を知ることができない。内面描写が可能な小説で演劇性を再現する上で、著者は「遊戯」という夢想状態を導入していると解釈した。ポールの夢遊病はその結果生じた歪み、差異の表象ではないかと思う。ポールの精神はその死後、物語冒頭で描かれた雪合戦の場面へと回帰して、読者すなわち「観客」を目にする。客席から舞台を眺めていたはずの我々が、舞台へと引き上げられ、ここでも構造の多重化が試みられている。 文体は格調高く洗練されているが、極度に抽象化された表現がテクストの理解を妨げる。頭で理解するのではなく、上質なワインを味わうように触れるべきだろう。詩人ならではの技巧、とりわけ数珠のように繋がれた形容詞の装飾が胸に染みる。今回は角川文庫版を読んだが、原文との比較において従来訳より読みやすく、コクトーによる素描が収録された光文社古典新訳文庫版も入手したい。
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