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内容紹介 | 「舞姫」「雁」などで有名な森鴎外の短編小説。藩主の細川忠利の死に際して、重臣の阿部弥一右衛門は殉死を願い出る。しかし、その申し出は許可されなかった。周囲から卑怯者呼ばわりされた弥一右衛門は、生き恥をさらすわけにいかぬと切腹したが、命令に背いたことが問題となり、殉死でなく犬死と見なされた上、遺族は差別的な扱いを受ける。度重なる屈辱に耐えかねた阿部一族が取った行動とは…。 |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2007/12/01 |
JAN | 9784003100561 |
- 書籍
- 文庫
阿部一族
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阿部一族
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商品レビュー
3.6
11件のお客様レビュー
正直、題材になった歴史を知らないので、どこまでが創作でどこまでが歴史事実なのかわからない。一応、どの作品にも中心人物がいて、その人はおそらく森鴎外の好みの人なんだと思うが、時代が違えば価値基準も異なり、また森鴎外の生まれたのが1862年で、明治天皇の即位が1867年だから、森鴎外...
正直、題材になった歴史を知らないので、どこまでが創作でどこまでが歴史事実なのかわからない。一応、どの作品にも中心人物がいて、その人はおそらく森鴎外の好みの人なんだと思うが、時代が違えば価値基準も異なり、また森鴎外の生まれたのが1862年で、明治天皇の即位が1867年だから、森鴎外自身ももとは江戸末期に生まれた士族なので、正直いまの時代の人間の一人としては、理解できない話もあった。 『興津彌五右衛門の遺書』 解説によれば、日露戦争でロシア軍を陸戦に破った乃木希典の殉死に着想を得た作品らしい。そういってしまえば美談。ただ、ここで腹を切った人がどうしてそもそも主君にとりたてられたかという経緯が個人的に共感できない。 珍品を献上せよと言われ、安南から送られた香木の「本」と「末」をめぐって、本木をとるべく大枚をはたこうとしたところ、同役のものに「そんなことに金をつかうのはおかしい」と正論を言われた。主君の命は絶対なのだから全力を尽くして何が悪いと言い返して嘲笑されたため、それで斬り捨てたところ、主君からはお咎めなし、却って取り立てられた、とゆう話。結局は、頭がしっかりしているとか、能力があるとかではなく、従順かどうかで物事おしはかっているとしかとれない。 腹を切ることにしたのは、その時に有能な人を斬って主君の手足となるはずだった人を減らしてしまったのに、却って主君にとりたてられた自分は主君に恩があると、それで死なぬは恥だと腹をきったらしい。そんな主君って、革命の対象でしかないと思うが。自らの本分を守って、余計なことは考えず、主君に尽くす、聞こえはいいが、結局頭働かせていないのと同じでは。 『阿部一族』 柄本又七郎の「情は情、義は義」という言葉が深い。情けのためには妻を見舞にいかせ、妻も妻で発覚すれば自分が罪を負って死ぬという覚悟をしながら籠城を決め込んだ阿部家を見舞い、一方で義のために又七郎は昵懇にしてきた阿部家に槍をもって討ち入った。そこでは槍の名手同士で腕比べをしようという名目で鉾先を交え、ついに阿部氏弥五兵衛の胸をついた。人としての道に背かず情けをかけ、かたや自らの武士としての生き様に悖らず主君のために討ち入りに参加し、しかも阿部氏弥五兵衛には武士として本懐を遂げさせる。天晴れとしか言いようがない立ち廻り。それでも、何か虚しさを感じる。誰のための何のための殺し合いなのか。美しいといえば美しいかも知らんが、日本人特有の本末転倒が強く出ていて、何とも言えない。 『佐橋甚五郎』 徳川家につかえる身の甚五郎は武芸に秀で、しかもよく人の意を汲み取ることにたけていたが、ちょっとしたことがきっかけで同じ立場のものを殺めてしまい、姿をくらました。家康の赦しを得て復帰したが、家康の心には甚五郎に対する警戒心があったのか、側近くにおいておけないなら心やすくは使えない、と別の者にいったのを、隣の間に待機していた甚五郎がきいた。甚五郎はそれをきくや身内の家にも立ち寄らずまたも消息を絶ち、久しく時を隔てて朝鮮国(李朝)からの使者に扮して家康の目の前に姿を再び表した……というのが大枠の筋。 斎藤茂吉の解説には「家康のごとき異常ともいふべき用意周到な人も要心せずに發した一語から、甚五郎を逐電せしめ……」とあるが、本文に「近習の甚五郎がお居間の次で聞いてゐると……」とあるから、家康はわざと聞こえるように、言葉を選んで、言い放ったのではないかと思う。 合戦で手柄を立てた甚五郎だけには褒美の言葉もなかったとあるから、家康が甚五郎に何かしら考えをもっていたのはそうなんだろう。個人的には、その前のページに、甚五郎に殺められた侍の実家である蜂谷家が甚五郎を快く思っていなかったとあるから、家康なりの配慮で甚五郎を遠くへゆかせて、危険を回避させようとしたのではないかと思う。序盤に「とにかくあの者どもはここを立たせるが好い。土地のものと文通などを致させぬやうにせい」とあるのも、やはりその意図からだと思う。 「あえて誰か心の利いた若いものを連れてまゐれ」と命じ、甚五郎の名があがったところで、隣の間に待機していることを知りながら、あえて言葉をきって、それで吐き出したのが「あれは手放しては使いたう無い」なのだから、斎藤茂吉の解説はやっぱり当たらないし、朝鮮からの使者が本当に甚五郎かどうかもわからない、みたいに解説しているのも、ちょっとズレていると思う。(斎藤茂吉は俳句には優れていたのかもしらんが、解説むきの人ではない。岩波新書『万葉集』でも全く理解できない解説ばかりならべていて、うんざりした記憶がある。)
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初の森鴎外です。 阿部一族については、死生観や命の捉え方が今とは違う中での、淡々とした語り口で驚くような事実を描いている歴史もの。 殉死が身近にありすぎる! しかしどこかで今の価値観の中にもこういう空気がゼロではない…我々の中にも脈々とありそう…というところも。 他の作品も読みたい。
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他の家来、皆殉死が許されてるのに自分だけ許されない。理由はホントにしょーもない。なぜかいけ好かないから。殉死できない。自分だけ生き延びることで周りから命惜しい奴と思われる。そして、自害。残された子供たちも、父の無念を晴らそうとするけど、、、どうしてこうなった。 死ぬ事も美学。そんな印象だった。 明日死ぬと言われる妻や子供の気持ちを想像してしまうのは、私が女だからだろうか。 何が殉死だろう。狂ってる。 その死生観が、つい100年前の日本で蔓延っていたのだからやるせない。 淡々と人が死ぬ。鷹も死ぬ。犬も殺される。 死ぬこと自体意味は無い。死までの期間に意味があるのだと思った。どう、自分で意味をつけるか。 色んな意味で心をえぐられる小説。鴎外、すごい。
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