商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 未来社 |
発売年月日 | 2007/10/01 |
JAN | 9784624011758 |
- 書籍
- 書籍
例外状態
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
例外状態
¥2,200
在庫あり
商品レビュー
3.8
5件のお客様レビュー
アガンベンのホモ・サケルのプロジェクトの1冊。 ホモ・サケルは、フーコーの生政治とアーレントを統合しつつ、シュミットの概念を使いつつ、ローマにおけるホモ・サケルという状態を絡ませ、それが収容所につながり、そして我々の今の生にまでつながっているという大変な議論なのだが、その前半部...
アガンベンのホモ・サケルのプロジェクトの1冊。 ホモ・サケルは、フーコーの生政治とアーレントを統合しつつ、シュミットの概念を使いつつ、ローマにおけるホモ・サケルという状態を絡ませ、それが収容所につながり、そして我々の今の生にまでつながっているという大変な議論なのだが、その前半部分のシュミットの例外状態の議論はやや難しい感じがしていた。 そんなわけで、その議論をより丁寧に展開、発展させたのが、タイトル通りのこの本。 これは想定以上に驚きの説得力のある本であった。 シュミットの概念を丁寧に読み解きつつ、ベンヤミンやデリダの議論と接続しつつ、ナチスの全体主義を法哲学的な観点から読み解いていくプロセスは圧巻である。 そして、それはいわゆる現代思想の中にとどまらず、ローマの法律と絡ませながら、権限と権威との関係を整理し、それがまた全体主義における人間の人格からくる権威に繋がるという説明にまた驚愕してしまう。 さらにさらに、さまざまな思想家や法学者の議論を整理して、論を進めるだけでなく、我々がまさに生きている世界の中で今起きているようなとこにも例外状態がたくさんあるという指摘も鋭い。 アガンベンについては、最近、読み始めたのだが、想像を遥かに超えてすごい人なんだな〜と実感した。
Posted by
本書はジョルジョ・アガンベンのホモ・サケルシリーズの第Ⅱ部-1にあたるとのこと。 「なぜあなたがた法学者はあなたがたの職務について黙して語らないのですか?」という挑戦的な冒頭の一文から始まる。 グアンタナモ基地に収監されているタリバーン兵士や、ヴァイマル憲法下で大統領により首相指...
本書はジョルジョ・アガンベンのホモ・サケルシリーズの第Ⅱ部-1にあたるとのこと。 「なぜあなたがた法学者はあなたがたの職務について黙して語らないのですか?」という挑戦的な冒頭の一文から始まる。 グアンタナモ基地に収監されているタリバーン兵士や、ヴァイマル憲法下で大統領により首相指名された後、個人的自由権を一時停止したヒトラーの行為など(日本の憲法9条と自衛隊の関係もそうかもしれない)を直接の課題トリガーとし、法を超えた存在としての「例外状態」とはいかなる状態で、生の政治とどのような関係にあるのかを解き明かす。かつてカール・シュミットに「例外状態に関して決定をくだす者」としての(真の)主権者という論理の下で定義されたり、「必要は法律をもたない」という格言から法的形態をとらない政治と法の境界にあるともされ、法理外としてあいまいな状態にされ続けたともいう「例外状態」。 内戦状態とか革命などの緊急状態に際し、法の停止に伴い現れる事実をまた法とするような、法理論としてはアポリア(袋小路)状態に陥っている「例外状態」を、アガンペンにおいてはアノミー(無統制状態)的空間であると定義し、法律と生の政治が未分化のまま交叉する限界点であるとする。そこでは法の停止(ユースティティウム)が行われることにより、むしろ法以外の力(暴力など)により逆説的に法に転化するような、生の政治に関連させられ包摂しようとする装置の存在があるとする。そして本来、法的権限のない者がユースティティウムを宣言するにいたる淵源は何かの答えとして、個人から湧き上がる「権威」=カリスマに行き着き、「権威」が巧みに「例外状態」を利用する姿をみるのである。 生の政治(暴力)と法律との結合点である「例外状態」を明らかにすることで、政治状態とは何かの端緒を示した論考だが、論理の流れが明解で面白く(逆に直線的な指向に限定されているようにも感じられるが)、現代政治に横たわる根源問題を考えさせてくれる一書です。アガンペンが辿る「例外状態」の淵源から、現在に残る祝祭としての「例外状態」、ベンヤミンとシュミットの論争整理など、その探求の幅と掘り込み方は凄い。
Posted by
ここで言う「例外状態」とは、法的例外状態のことで、法の外部でもあり内部でもあるような位地を言っている。 が、よくあることだが、巷では「例外状態」という言葉(シニフィアン)の一人歩きが始まってないか? 法の外部が全て「例外状態」ではないし、ましてや、特殊な位置付けが全て「例外状態...
ここで言う「例外状態」とは、法的例外状態のことで、法の外部でもあり内部でもあるような位地を言っている。 が、よくあることだが、巷では「例外状態」という言葉(シニフィアン)の一人歩きが始まってないか? 法の外部が全て「例外状態」ではないし、ましてや、特殊な位置付けが全て「例外状態」なのでもない。
Posted by