商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋/文藝春秋 |
発売年月日 | 2007/05/12 |
JAN | 9784163691107 |
- 書籍
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女ひとり玉砕の島を行く
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女ひとり玉砕の島を行く
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「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎。 「何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」と梶井は続ける。 つまり、爛漫と咲き乱れている桜の樹の根元には、死体が腐爛して水晶のような液を垂らし、桜の根は貪婪な蛸のようにそれを抱きかかえ、...
「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎。 「何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか」と梶井は続ける。 つまり、爛漫と咲き乱れている桜の樹の根元には、死体が腐爛して水晶のような液を垂らし、桜の根は貪婪な蛸のようにそれを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を集めてその液体を吸っているというのだ。 多くの人が花見の酒宴を開く横でこのようなことを想像しえた梶井を、果たして「奇特」とか「珍しい」とかで片付けてしまっていいのか? 戦後日本の経済的豊かさを当たり前のように受けている一方で、それほど離れていない年代において兵隊たちの多くが志半ばで故郷から遠く離れた南洋の島で命を落とした事実があるのを、ある日、著者の笹さんは知る。 私も正直に告白するが、私も含めて多くの人は、「ひめゆりの塔」や「原爆ドーム」や慰霊碑を見ても、それを自分自身につながるものと直感的に理解できる人は、家族に関係者がいるなど特別の事情がなければ、なかなかいないのではないか? でも笹さんは戦跡からそこに眠る人たちの“肉声”を聞き取り、自分の責務として、戦跡を訪れて祈りを捧げたいと考えた。 もう言われる前に言っておくけど、桜の樹の下に死体なんて埋まっているはずはないし、身内に戦死者もおらず、自分自身の生活が先の戦争に何も直結しない笹さんが戦死者に思いを巡らせたところで、何か特別なことが起こるわけではないってことはわかっている。 しかし笹さんを梶井と同様だと考えれば、違和感もなく受け入れられる。 つまり、人に見えないものが見え、人に感じられないものに心が動いたということ。 それは他人から見ると意味の無いものに見えるかもしれない。 しかし、私は単純に笹さんの感受性を評価したい。 小人(しょうじん)はともすれば笹さんの活動をイデオロギーとか、反戦思想からみた矛盾とかから照らし、言動をあげつらおうとするだろう。だけど、私はもっとシンプルに笹さんの活動は“ヒューマニティ”がベースだと理解している。 確かに戦争は悪いし、兵隊の行為もそのまま受容すべきではない。相手国や現地の人々などの多くの当事者の内心を考えると、日本兵の戦死の事実はもっと深い複雑な事情が絡む。 だけど、笹さんが祈りを捧げようとするのは、国や家族を守るため、命令に忠実に、そして自己の肉体と精神を極限まで切り詰め、図らずも死を迎えることとなった兵隊たちであり、それ以上でもそれ以下でもない。 兵隊たちに対して衷心から祈りを捧げる笹さんが、その鋭敏な感受性を雑駁なイデオロギーで濁らすことさえしなければ、梶井の感性のように、急には広がらないまでも、長い時間を経ても曇らず受け継がれるだけの強い力を持つと信じている。
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奇特な女性もいるものだ。 名前すら聞いた事がない南太平洋の小さな島々を巡り、たくさんの日本兵が亡くなったことすら忘れ去られようとしている遺構を訪ねるなんて、正気の沙汰ではない。 ぼんやり生きている人間からすれば、その行動力にただ感服する。 こうして本にしてくれただけでもありが...
奇特な女性もいるものだ。 名前すら聞いた事がない南太平洋の小さな島々を巡り、たくさんの日本兵が亡くなったことすら忘れ去られようとしている遺構を訪ねるなんて、正気の沙汰ではない。 ぼんやり生きている人間からすれば、その行動力にただ感服する。 こうして本にしてくれただけでもありがたいのだが、いかんせん最初から最後まで一本調子で書かれていて、読んでいて途中で飽きてくる。 溢れる思いと遭遇しためずらしい体験を元に、グイグイ読者にページをめくらせるのはまた別の問題。
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ガダルカナル、ツラギ、ムンダ(ニュージョージア島)、ブーゲンビル島、タラワ、マキン(ブタリタリ)といった現在でも観光ではいけない土地、そして観光地となったサイパン、テニアン、自衛隊と米軍の基地で民間人は入れない硫黄島。著者が歩いてきたのはことごとく数千、数万の日本人(兵士や軍属、...
ガダルカナル、ツラギ、ムンダ(ニュージョージア島)、ブーゲンビル島、タラワ、マキン(ブタリタリ)といった現在でも観光ではいけない土地、そして観光地となったサイパン、テニアン、自衛隊と米軍の基地で民間人は入れない硫黄島。著者が歩いてきたのはことごとく数千、数万の日本人(兵士や軍属、民間人)が斃れた土地。 これらの土地に慰霊や遺骨収集に行く元兵士や親族と一緒に行動した記録。第二次世界大戦後、大きな紛争に巻き込まれず軍隊の存在も封印し、多くの国民が戦争の被害者として振る舞ってきた日本国民。それでも戦い散った方々に敬意を表し、後世に語り継ぐことを忘れてはならない。篤志家によって建立された在外の慰霊碑が、風化の危機にあること、これだけ国が豊かになって久しいのに、見える範囲の遺骨収集もままならない。 忘れた人は仕方ない、教えてもらってない人に責任は薄い。 これだけの人の命が失われた、その教訓を語り継ぐことを忘れたとき、同じことを繰り返すのではなかろうか。慰霊はつづけなければならない。
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