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新訳 リチャード三世 Shakespeare Collection 角川文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 角川書店/角川グループパブリッシング |
発売年月日 | 2007/06/22 |
JAN | 9784042106173 |
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新訳 リチャード三世
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新訳 リチャード三世
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今年は古典を読もうと思っていて、古典と言えばこの人でしょ…、ということで手に取ったシェイクスピア。 COTEN RADIOでジャンヌダルクの百年戦争を聴いたあと、そう言えば完全に穴だな、と思っていた薔薇戦争にも興味があったので、一石二鳥とばかりに選んだのがこちら、リチャード3世...
今年は古典を読もうと思っていて、古典と言えばこの人でしょ…、ということで手に取ったシェイクスピア。 COTEN RADIOでジャンヌダルクの百年戦争を聴いたあと、そう言えば完全に穴だな、と思っていた薔薇戦争にも興味があったので、一石二鳥とばかりに選んだのがこちら、リチャード3世です。 翻訳の戯曲なんか読んだこともないし、ましてや自覚のある通り知識の穴であるところの中世イギリスが舞台のこの作品。何度か最初に戻って登場人物を整理したり、読みながらスマホで人物相関を調べたり…いやぁ、苦労した。 内容を私なりに要約すると、 容姿に恵まれないが血筋には恵まれていたリチャードが、清々しいまでの悪巧みや権謀術数でまわりの政敵を圧倒して王位につくも、その悪行が故に倒されてしまう…みたいな、悪人が主役の懲悪劇。 自分の容姿をけちょんけちょんに貶すところから始めるので、彼の悪行に対する開き直りっぷりがちょっと気持ちよく、彼に比べると周りにいる小悪党の小物っぷりに物足りなさも感じた。 戯曲だから、えらく唐突だな、と思う部分もあるんだけど、wikiやらYouTubeの力も借りつつ、マーガレットの呪いが最後きちんと回収されるところまで、かなり面白く読めた。 いろんな解説に引っ張られているのは自覚しつつ、ただこの印象そのままにリチャード3世を醜い悪者だと思うのは短絡的かもな、と思う。 シェイクスピアが、この戦いの勝者であるヘンリー7世の後継であるテューダー朝のエリザベス女王治世の人であることからも、歴史は勝者が紡ぐものという定説が思い浮かぶし。 ただ、ジョン・エバレット・ミレイのロンドン塔の王子たちのモデルであるエドワード5世とヨーク公への仕打ちはもし本当なら酷い話だ。絵画で見せられるイメージの力は強い。 しかしこの王子たちの最期も、最近ではそうじゃないんじゃないか?との話が出て来ているらしいね。 (山田五郎さん、大人の教養講座より) 掘るといろいろと興味深くて結局訳分からなくなりそうだわ。 ちなみに内容とはあまり関係ないが、 わたしはこちらを三神勲訳の角川文庫クラシックスで読んでいて、翻訳の妙というか、面白いなと感じたのが166頁のリチャードの台詞、 「びくびくしながら小田原評定にふけっていては」のところ。 小田原評定を調べてみたら、この時代より100年以上後に出来た言葉だし、言うまでもなく国も時代も違うのに、軍議が進まない様子を表現する言葉としてリチャードに言わせるの、なんか面白い。 シェイクスピアもまさかこんな翻訳でキリスト教圏ではない極東の島国で読まれることになるなんて思ってなかっただろう。 大雑把なイメージとして、リチャード3世の醜悪さを描いた作品ではあるものの、突き抜けた悪役っぷりと、まわりの小物感を比べてみると、そんな単純な話でもないのかもしれないと思った。 …古典、恐るべし。
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人が多いし呼ばれ方が変わったりするしで、相関図にパラパラ戻りながらでもついていくのがかなり大変 注釈がけっこう詳しい。 さすがに原著に戻る気にはならないけど、言葉遊びが多いようなので英語だとさらに楽しめるのだろうなとおもう。
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シェイクスピア初期の戯曲。 16世紀末の完成以来、ピカレスク(悪漢)ロマンとして、今日に至るまで、さまざまな脚色で上演され続けている。歴史劇としては「ヘンリー六世・三部作」の続編にあたる。 醜い「せむし」として嘲笑われてきたグロスター公リチャードが、権力を手にすることで周囲のすべ...
シェイクスピア初期の戯曲。 16世紀末の完成以来、ピカレスク(悪漢)ロマンとして、今日に至るまで、さまざまな脚色で上演され続けている。歴史劇としては「ヘンリー六世・三部作」の続編にあたる。 醜い「せむし」として嘲笑われてきたグロスター公リチャードが、権力を手にすることで周囲のすべての人々に復讐を遂げようと野心を燃やし、暴虐と謀略によって王位につき、しかしやがては転落していくまでの物語である。 時は薔薇戦争の時代で、リチャード三世はヨーク家側である。父や兄とともに、ランカスター家と血みどろの争いを繰り広げる。 リチャード三世はランカスター側の王太子を謀殺。その妃を篭絡するも、のちにこれを殺す。 ヨーク家長兄の死をきっかけに、権力の座に昇りつめようと企んだ彼は、身内にも刃を向けていく。まずは次兄を排除する。まだ幼い長兄の息子2人は、不義の子であり、王家の血を引いていないと言い立て、陰気なロンドン塔に幽閉したうえ、殺人者に命じて殺させてしまう。 世に悪事は数多くあれど、やはり万人が非道と認めるのは子供殺しではなかろうか。 そうまでしても彼が権力に執着したのは、自らの醜い容姿に原因がある、というのがシェイクスピアの言わんとするところなのだろうが、さて。 実際、リチャード三世が非道な王だったのかといえば、実はそうではなかったようで、ジョゼフィン・テイの『時の娘』もこれを題材としている。 巻末の解説によれば、シェイクスピアは史実を取り込みつつも、時系列などを巧みに操作して、「極悪人リチャード三世」の肖像を作り上げている。 リチャード三世を破ったヘンリー七世は、ランカスター側であり、シェイクスピアの時代の女王、エリザベス一世の祖父にあたる。リチャード三世を悪党に仕立て上げたのはヘンリー八世、つまりエリザベス一世の父の時代の歴史家たちと言われる。 シェイクスピアはそれを踏襲したわけで、そこにはもちろん、エリザベス一世の「ご機嫌取り」の要素もあっただろう。 だが、おそらくはそれだけではなく、歴史上の人物の姿を借りて、全き悪、この上ない悪を描いてみたいという、作家としての欲望もあったのではなかろうか。 どれだけ貶してもよいリチャード三世は、その恰好な標的だったというところだろう。 「せむし」という表現は現代ではなかなか使いにくいところもあろうが、鬱屈し、世の中への怒りを滾らせている人物というのは、現代でも、さらにはこの先も、描き甲斐のある人物像として、上演され続けていくのだろう。 角川文庫版は河合祥一郎訳。原文のリズムにこだわった訳が特徴。シェイクスピアの戯曲には、得てして版がいくつも存在し、どのテキストを採用するかの判断が付きまとうが、これに関する注も詳細。 ただ、以下は、訳がどうこうという話ではないが、王家の名前でよくあるように、同じ名前の登場人物が多く、文字で読んでいるとわかりにくい。ランカスター家の王太子も、ヨーク家の長兄も、その息子もエドワード、2王子の弟の方はリチャードといった具合で、さらっと読んでいると誰が誰なのかわからなくなる。このあたりは実際に劇で見た方が格段にわかりやすいだろうと思う。
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