商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 武蔵野美術大学出版局/武蔵野美術大学出版局 |
発売年月日 | 2007/03/01 |
JAN | 9784901631754 |
- 書籍
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タウトが撮ったニッポン
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タウトが撮ったニッポン
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商品レビュー
4.6
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ドイツ人ブルーノ・タウトは桂離宮や日本のモダニズム建築などを世界に紹介した建築家だ。 同書はタウトが滞在中、撮った写真と日記で構成。桂離宮からスラム街まで130点。興味の赴くままに撮られて、面白い。しかし、「ヴェス単」と呼ばれるコンパクトカメラで撮られた写真はちょっとピンぼけど...
ドイツ人ブルーノ・タウトは桂離宮や日本のモダニズム建築などを世界に紹介した建築家だ。 同書はタウトが滞在中、撮った写真と日記で構成。桂離宮からスラム街まで130点。興味の赴くままに撮られて、面白い。しかし、「ヴェス単」と呼ばれるコンパクトカメラで撮られた写真はちょっとピンぼけどころか、かなりのピンぼけ。それはそれで味わい深い。 タウトがどうして日本に来ることになったのか。 ナチスが力を強めていくのに嫌気がさした彼は、活動拠点を海外に求めた。一方、一九三二年一月三十日に組閣を終えたヒトラー政権もとタウトを危険視した。 友人から逮捕の危険が迫っていると聞かされ、自宅に戻ることさえできず、しばらく、友人宅にかくまってもらい、一九三三(昭和八)年三月初め、エリカ夫人とともにベルリンを出た。 タウトは三〇年に日本インターナショナル建築会から招待状を受け取っており、いずれ来日するとの約束をしていた。奇しくも、亡命によって、その約束が果たされることになった。 同建築会は一九二七(昭和二)年に結成された。発足当時のメンバーはウイーン帰りで京都に「上野建築事務所」を開設した上野伊三郎、京都高等工芸学校図案科教授の本野精吾、伊藤正文、東京朝日社屋の設計者である石本喜久治、中尾保、新名種夫。海外メンバーとして、タウト、エーリヒ・メンデルゾーン、ヨーゼフ・ホフマンらがいた。 タウトはまずシュトゥットガルトに寄った。申告書も証明書類もなく、ホテルに泊まることもできなかった。建築家の友人の協力を得て、まずスイスへ行き、ドイツ大使館ではなく、日本大使館で旅券の発行を受けた。 それから、パリ、マルセイユ、アテネ、イスタンブール、モスクワを経て、シベリア鉄道に乗り、ウラジオストックを経由し、五月三日に敦賀にたどり着いた。約二か月にも及ぶ旅である。 翌四日は京都で、五三歳の誕生日を迎えた。誕生日は毎年、その土地で一番優れた建築を見学することにしていたタウトは迎えに来た上野伊三郎の勧めで桂離宮を見学し、深い感銘を受けた。 以後、上京し、吉田鉄郎ら日本を代表する建築家と交流を持っている。写真とともに、メモ程度に残された日記には、タウトの当時の心境が書かれている。当時の外国人が日本をどう見ていたのかが分かる貴重な資料でもある。
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1933年から1936年の日本を訪れたタウトの目線。ピンぼけしている写真の数々。現代に生活している日本人にとってもなつかしさを飛び越えて、異国の地に訪れたような錯覚を覚える。純粋に面白い。 いっぽうで各先生方の興味深い考察を読み、その時代の空気感とその後の時代の流れ、写真という...
1933年から1936年の日本を訪れたタウトの目線。ピンぼけしている写真の数々。現代に生活している日本人にとってもなつかしさを飛び越えて、異国の地に訪れたような錯覚を覚える。純粋に面白い。 いっぽうで各先生方の興味深い考察を読み、その時代の空気感とその後の時代の流れ、写真というメディアのまなざし、可能性についてあらためて考えさせられた。
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ブルーノ・タウトが昭和初期、日本に滞在した折りに撮った写真アルバムからの選りすぐり。 最初の「京都の町並み」の写真が近所に昔あった建物の感じによく似てて驚き。ちゅうか京都市内には今でもこんな街角あるな。75年ほど前って充分現代だから地続きなんだな。
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