商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 本願寺出版社/本願寺出版社 |
発売年月日 | 2007/03/10 |
JAN | 9784894163775 |
- 書籍
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君自身に還れ
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君自身に還れ
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池田晶子と大峯顕の対談です。大峯はフィヒテの研究者であり、親鸞の思想についてもその哲学的意義を論じた著作を刊行しています。 池田は陸田真志との共著である『死と生きる―獄中哲学対話』(新潮社)のなかで、「ほんとうの哲学の問題」とはまったく無縁に生きてきた殺人犯が、みずからが生きて...
池田晶子と大峯顕の対談です。大峯はフィヒテの研究者であり、親鸞の思想についてもその哲学的意義を論じた著作を刊行しています。 池田は陸田真志との共著である『死と生きる―獄中哲学対話』(新潮社)のなかで、「ほんとうの哲学の問題」とはまったく無縁に生きてきた殺人犯が、みずからが生きていること、そして自分が他者の生を奪ってしまったことの意味を見つめはじめるのを目のあたりにしていました。しかし、みずからの死と生を、そして他者の死と生を、まったく見ようとしない殺人犯が現われていることに、池田は「哲学の無力」を感じると語ります。こうした、もはや人間と呼ぶことのできない存在を前にしては、仏陀でも「困ってしまう」のではないだろうかと、彼女は大峯に問いかけます。 池田の問いに対して大峯は、「困ってしまいますね」とこたえ、それに続けて、「それはね、この世だけじゃ無理かもしれない」と語り出しています。「この世で気がついて真人間に戻ることは確かに不可能かもしれないけど、いつの世にかは、なるだろう」。そして、「そう思ったら、ちょっと救いが起こる」といいます。なおも池田が、その「救い」とは何なのか、「ということは、何でもいいんだということと同じではないんですか」と問いかけるのに対して、大峯は次のように答えています。「いや、なんでもいいんだということじゃない。結局、なんとしてでも救うぞと仏は言っているわけです。この世で救えなかったら、また次の世でも救うぞと。ある一人の生きものを絶対に手放さない。どんなに長い時間がかかったって、絶対に見捨てやしないと。これほど気が長い話はないですよ。そのことに気づくと、救いが起こってくる」。 「気が長いということに気づくことが救い」という大峯のことばは重く、深いと感じました。
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あと十年すればわかる、そのことばを待たずに、亡くなつてしまつた。そして、そのことばを言つた者もついこの間、亡くなつてしまつた。先を生きる者だからこそ、何とも思はずにはゐられない。 信じるといふことはある種の思考停止ではないか。知ることをやめてしまふことではないか。しかし、本当に信...
あと十年すればわかる、そのことばを待たずに、亡くなつてしまつた。そして、そのことばを言つた者もついこの間、亡くなつてしまつた。先を生きる者だからこそ、何とも思はずにはゐられない。 信じるといふことはある種の思考停止ではないか。知ることをやめてしまふことではないか。しかし、本当に信じ続けるためには、知り続けなければならない。 同じものの裏表。裏は表で表は裏。見る方向によつて変はるだけで、どちらも同じものの現れ方の違ひだつた。善悪・生死・有無、どれもことばのなすものだつたのだ。 ではことばにならないものは存在しないのか。決してそんなことはない。絶対無が存在しないことには、ことばも存在し得ない。空があるからこそ、色がある。仏教ではそれを弥陀の本願といふ。 わたしといふ存在を信じないことには始まらない。しかし、そのわたしが存在するのが他ならない未知、本願によるなのだ。空はいつでもこの存在と共にあつた。 文字だけでは、この対話がどのやうな展開や雰囲気を出してゐたのかすべてを感じることはできない。だが、池田某はおそらくもつと聞きたいことがあつたに違ひない。静かに耳を傾けながら、時に核心をつきに投げかける様子は、年齢を重ねておとなしくなつたと自嘲してゐたがこのひとらしさだと思ふ。それを知つてのことか、大峯さんも本当のことを語りながら、笑つて核心を語らない。だからこそ、話しながらもつと知りたくなる。知り続けたくなる。
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哲学者、浄土真宗僧侶の大峯顕と哲学者池田晶子の対談。存在が存在すること自体の謎、不思議を考え続け、知ることを愛する。知ることにより人生が知られる。そのことを前提として信じるとはどういうことか大峯が池田に説く。
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