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宮沢賢治に聞く 文春文庫
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宮沢賢治に聞く 文春文庫

井上ひさし(著者)

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宮沢賢治に聞く 文春文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 文藝春秋/
発売年月日 2002/12/10
JAN 9784167111243

宮沢賢治に聞く

¥680

商品レビュー

3.8

5件のお客様レビュー

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2010/05/28

裕福な家に生まれ、幼…

裕福な家に生まれ、幼い頃から賢く、農村の人々のために働き、37歳で死去した賢治。有名な「雨ニモマケズ」は病床で手帳に書かれ死後発見された、本は売れず印税も得られず、などのエピソードも含まれ、もっと賢治を知りたくなる本。著者や他作家たちによる賢治作品の解釈も興味深い。写真豊富。賢治...

裕福な家に生まれ、幼い頃から賢く、農村の人々のために働き、37歳で死去した賢治。有名な「雨ニモマケズ」は病床で手帳に書かれ死後発見された、本は売れず印税も得られず、などのエピソードも含まれ、もっと賢治を知りたくなる本。著者や他作家たちによる賢治作品の解釈も興味深い。写真豊富。賢治年譜あり。

文庫OFF

2020/12/19

井上ひさしの視点でまとめられた宮澤賢治。年譜がついており、作品を読む際の参考にできそう。井上ひさしも没している今、現世ではないどこかで心ゆくまで賢治(と啄木)にインタビューしていそう。短所も長所もひっくるめて、全体的に賢治への愛が深い。

Posted by ブクログ

2013/12/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

宮沢賢治とバリ島      -2007.02.28記 井上ひさしの「宮沢賢治に聞く」を読んで意表を衝かれたのは、賢治の「羅須地人協会」誕生の背景には、当時の世界的なバリ島ブームが刺激なりヒントなりを与えたのではないか、という指摘だった。 この新説はどうやら井上ひさしの独創らしい。 オランダがスマラプラ王朝を滅ぼしてバリ島全土を植民地支配するようになったのは1908(明治41)年だが、各地の旧王族を残しつつ間接統治を採ったオランダ政府の政策が結果的に効を奏し、従来各部族が棲み分けていた島社会の混乱を招くことなく、習俗や伝承文化の保護継承に繋がりえたとされる。 おりしも、ヨーロッパ中を疲弊させた第一次世界大戦がやっと終わった1918(大正7)年、O.シュペングラーの「西洋の没落」が発刊され、一躍ベストセラーとなっている。 「西洋の没落」というこのフレーズは、センセーショナルなほどに彼ら西洋の現在と近未来を映す常套語となり、大戦の疲弊と相俟って深刻な終末観に襲われるが、その反動は一部に異郷趣味を増幅させもする。 西洋におけるオリエンタリズムの潮流は、当時のバリ島を「ポリネシア文化とアジア文化が合流する地上の楽園」と憧憬のまなざしで見、多くの欧米人たちが訪れるようになる。 とりわけ島を訪れ、滞在する芸術家たち、たとえばドイツ人画家ヴァルター・シュビースらが原住民たちとの協同作業のなかで舞踊劇として再生させた「ケチャ・ダンス」のように、絵画や彫刻、ガムランやバロン劇などが、彼らのもたらす西欧的技法や感性と交錯しながら、バリ特有の伝承芸術として再生され定着していく。 いわば西洋におけるバリ島の発見、バリ原住民たちの伝承文化が西洋の芸術様式と出会い、再生させられていくピークが1920年代から30年代であった。 井上ひさしによれば、賢治の蔵書の中に、当時のバリ島が紹介された一書があるという。 賢治が花巻農学校の教員を辞してのち、実家の離れに住みながら羅須地人協会を発足させたのは1926(大正15)年のことである。 農民芸術を説き、近在の百姓たちとともに劇団をつくったり、オーケストラをやろうとした賢治の脳裏には、この西洋によるバリ島の発見があり、宗教も芸術も渾然と一体化した島民たちの生活習俗が、ひとつの理想的モデルとして鮮やかに刻印されていたのかもしれない。

Posted by ブクログ

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