商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 山川出版社/ |
発売年月日 | 1999/06/15 |
JAN | 9784634321106 |
- 書籍
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埼玉県の歴史
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埼玉県の歴史
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1999年の本なので、まだ「さいたま市」は誕生していません。 武蔵の国ですね。 北条氏、上杉氏の印象が強い。 ただ、農民はひたすら農作物を作っていた。 全ての歴史はその上にある。
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関西から移り住んで、早やうん10年。 やはり生まれ育った土地でないと中々愛着が湧いてこないので、地元愛を深めるため、一念発起して「埼玉県の歴史」なる真面目な分厚い本を読んでみました。 これまでは「何もない埼玉」というような、歴史の表舞台に登場しない地域の悲哀のようなものがありまし...
関西から移り住んで、早やうん10年。 やはり生まれ育った土地でないと中々愛着が湧いてこないので、地元愛を深めるため、一念発起して「埼玉県の歴史」なる真面目な分厚い本を読んでみました。 これまでは「何もない埼玉」というような、歴史の表舞台に登場しない地域の悲哀のようなものがありましたが、読んでみるとなかなか面白い歴史や物語があります。 ○県名の由来 埼玉県埼玉村(行田市埼玉)に由来。 さきたま古墳群がある場所で、この古墳群は「古代東アジア古墳文化の終着点」として世界遺産への登録を推進しています。 ○地形・・・荒川・(利根川) 荒川の源は奥秩父。流域面積は県のほぼ2/3を占める。 氾濫を繰り返す「荒れ川」であったが、また恵みをもたらす「母なる川」でもあった。 江戸時代の初めに、荒川や利根川は、江戸での洪水を防ぐために、大工事の末、水路を切り替えています。 その結果、旧荒川は現在の元荒川になり、利根川は江戸湾に注いでいたのを、銚子の方へ流れを切り替えました。凄い工事だったと思います。 ○旧石器時代 3万年~12000年。県内で500カ所の遺跡があります。 ○縄文時代 1万年前。氷河期の終焉⇒「縄文海進」 縄文前期(6000年~5200年)・現在より5m程海水面が上昇して「奥東京湾」が県の東南部まで入り込んでいました。 当時の縄文人は、豊富な海産物を求めて集落を形成したようです。当時の海岸線に沿って貝塚が多く残されています。 ○縄文中期後半 冷涼化が始まり、生活環境が劣悪化したため、住居が一気に激減。 ○弥生時代 紀元前300年頃 大陸から日本へ稲作の伝播 埼玉県への弥生文化の伝播は弥生時代中期(BC100~AD100)頃のようです。 ○古墳 東海地方と交流が盛んになった4世紀の初頭に、利根川・荒川水系に沿った地域で卓越した勢力が台頭し、埼玉の初期古墳を造った。 5世紀後半、ヤマト王権の政策転換で、多摩川流域地方の勢力が弱まり、荒川・利根川流域の勢力が強くなり、 この時期に埼玉稲荷山古墳(行田市)を始めとする「さきたま古墳群」が出現した。 昭和53年に埋葬品の鉄剣から金象嵌の銘文が発見され当時「世紀の発見」と話題になった。 この鉄剣は「辛亥年七月中記」西暦471年に作られ国宝に指定された。ヤマト王権の勢力範囲を考える上で重要な出土品だそうです。 律令体制 律令体制下で行われた条里制に伴う工事や、ムラの建設には鉄製農耕具が欠かせないので、製鉄・鍛冶が盛んになった。8世紀後半には鉄を作っていたようで、製鉄炉跡が多く発見されています。 また、8世紀に関東(駿河~常陸)7カ国にいた高麗人を武蔵国に移し、高麗郡を作った。関東各地には、大陸からの渡来人が各地に定住帰化して、養蚕や絹織物の技術を広めたそうです。現在彼岸花で有名な「巾着田」の辺りです。 いざ鎌倉 後三年の役で公的な論功行賞が行われなかったが、源義家が私財を投げ打って恩賞を与えたことにより信頼関係が強まり、後の鎌倉幕府成立へ繋がる。 これが、後の源頼朝の挙兵に集結したことに繋がっています。 以下は簡単にします。 鎌倉幕府の滅亡 後北条氏の支配 後北条氏の滅亡 秀吉の関東攻めで、小田原の後北条氏の滅亡 小説や映画で話題になった「のぼうの城」(忍城)の舞台です。石田三成は「さきたま古墳群」の一つである「丸墓山古墳」に陣地を築いています。 江戸時代 関東郡代伊奈氏による利根川・荒川の瀬替え工事や葛西用水の開削等の大規模な河川改修で、現在の河川水系の原型がほぼ形づくられた。
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