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サン=サーンス 大作曲家
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サン=サーンス 大作曲家

ミヒャエルシュテーゲマン(著者), 西原稔(訳者)

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サン=サーンス 大作曲家

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 音楽之友社/
発売年月日 1999/12/10
JAN 9784276221680

サン=サーンス

¥2,640

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2022/11/15

 原著1988年刊。この邦訳本は現在絶版で、中古でしか手に入らない。他に1冊まるごとサン=サーンスについての和書は無いので貴重な本。  フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルにおいて燦然と輝くフランス音楽の美質の、その前段階に厳然とある、やはりいかにもフランス音楽を代表するような古典的...

 原著1988年刊。この邦訳本は現在絶版で、中古でしか手に入らない。他に1冊まるごとサン=サーンスについての和書は無いので貴重な本。  フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルにおいて燦然と輝くフランス音楽の美質の、その前段階に厳然とある、やはりいかにもフランス音楽を代表するような古典的作曲家であり、地味ながらしばしばたまらないような美質を備えた曲を書いた作曲家、というイメージを抱いていた。人物的には温厚で親密な深い微笑を浮かべた人、と勝手に思っていた。  しかし、本書を読むとサン=サーンスの人物像はまるきり違うようなのである。  何と、詩や戯曲も書く文学者であり、考古学や自然科学や哲学についても論文を書く多彩な学者でもあり、音楽に関してもその折々に盛んに批評文を書いてそれがやたら筆禍をもたらしたようだ。 「早熟の天才」である彼は幼くして既にピアニストとなり曲も書いた。最初は賞賛を浴びたが、やがて彼の作曲は批判され始める。  サン=サーンスの音楽は、当時のパリにおいてほとんど受け入れられなかったようなのだ。幼時から馴染んだバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽の影響は、まだパリには浸透しておらず、形式的にドイツ音楽の系譜を引くサン=サーンスの創作は拒否された。よく分からないのだが、当時のパリにおいてはイタリア的な音楽が主流であったようだ。なかんずくイタリア歌劇がメインであって、サン=サーンスが書いた交響曲や協奏曲、室内楽曲のような器楽曲はないがしろにされていたらしい。  意外にもサン=サーンスはヴァーグナーの音楽に陶酔したようだが、その影響はほとんど創作に現れていない。初め彼はヴァーグナーを賞賛する批評を書いたのだが、これもパリでは非難を浴びた。しかし後に、パリにもようやくヴァーグナー音楽のブームが訪れた頃には、逆にサン=サーンスはヴァーグネリズムを批判して、これも人びとに罵声を浴びせられた。  サン=サーンスの音楽は当時のフランス音楽の文脈においては、最初は革新的すぎると嫌われ、19世紀の終わり頃にはようやくいくらか認められたものの、20世紀に入るとあまりにも保守的すぎ反動的と嫌われた。サン=サーンスの音楽自体は、本質的には、初期から最晩年にいたるまでほとんど変化がない。ごく幼い頃に培った音楽的価値観が、何ら変わることばくそのまま維持されたようである。それは作品を聴けばすぐ分かる。  子供の頃、母親と大叔母という2人の女性に自宅にずっと閉じ込められて暮らしたそうだ。学校にも行かず、外に出ることもなく、従って友人もいなかったと思われる。一般論としてこのような暮らしでは社会的人間としては歪められてしまい、社会性を発達させることができない。思うに、サン=サーンスはコミュ障だったのではないか。2人の女性に守護された「家」に隔離されて、そのために世間の時流とは断絶し、後にもパリの音楽界に混じり入ることが出来なかったのではないか。よく言えば「孤高」ではあるが、融通の利かない存在者であって、外部の諸要素を(言説のレベルで)あまり吸収できずにずっと隔離された自己意識を保存するばかりではなかったのかと思われる。  19世紀のフランス音楽の主流だったかと思いきや、まるで異なる存在だったらしいサン=サーンスは、少年時代から価値を認めてくれたフランツ・リストは別として、後にはドビュッシーにもラヴェルにもさんざん批判されたようである。私が漠然と抱いていた近代フランス音楽史のシメージはかくして間違っていたわけだ。  本書はそんなサン=サーンスの立ち位置を示してくれる希有な書物で、様々に思うところがあり、参考になった。その上で、私はサン=サーンスの音楽が好きである。

Posted by ブクログ

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