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「カルト」を問い直す 信教の自由というリスク 中公新書ラクレ
858円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2006/01/10 |
JAN | 9784121502018 |
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「カルト」を問い直す
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商品レビュー
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6件のお客様レビュー
カルト問題について、主にオウム真理教の事例を元に 大学における勧誘、脱会カウンセリング、カルトの暴走、カルトの受け入れ拒否問題に至るまで調査し、 この問題に、社会として、個人として、どう向き合うのかを問題提起する本。 信者の入会から脱会、宗教団体の存続、団体と地域社会など カル...
カルト問題について、主にオウム真理教の事例を元に 大学における勧誘、脱会カウンセリング、カルトの暴走、カルトの受け入れ拒否問題に至るまで調査し、 この問題に、社会として、個人として、どう向き合うのかを問題提起する本。 信者の入会から脱会、宗教団体の存続、団体と地域社会など カルトについて、どういう問題が起こり得るのかが、分かった。 宗教をやめない自由VSやめさせない自由等や 近隣に宗教団体の本部ができた場合の団体側の権利VS住民の権利など、基本的な権利のぶつかり合いについて、 色々と考えさせられた。
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何が正しくて、何が間違っているかを競い合うだけの議論では、緊急な現実問題が立ち塞がっている場合には、何の解決策にも繋がらない不毛のケースが非常に多い。これは、自分の立場を守る事だけを目指す為の論理しか働かせない思考だから仕方ない面もある。歩み寄り、妥協の中における解決策の捻出こそ...
何が正しくて、何が間違っているかを競い合うだけの議論では、緊急な現実問題が立ち塞がっている場合には、何の解決策にも繋がらない不毛のケースが非常に多い。これは、自分の立場を守る事だけを目指す為の論理しか働かせない思考だから仕方ない面もある。歩み寄り、妥協の中における解決策の捻出こそが求められている時に、己の正しさが証明されたところで、所詮どうでもよい事に過ぎないのではないか。利害が対立してる場合、完全にどちらかが悪いと押し込める事にどんな意味があると云うのだろう。社会の中で対立問題が生じたなら、完全に自分に有利な解決をする事は断念すべきであり、妥協を図る柔軟なる対応ができないと、対立が融和せずにいつまでも無駄な時間ばかり喰う羽目になるのだ。 カルトという名前は普通何らかの差別の意味合いを込めて、ある対象に宛がわれる。何事も明確な根拠を持たずに不当なる手続きによって何らかの対象を悪だと決め付ける主張をする者が居れば、社会的に危険な存在だと見なされても仕方がない。新宗教と云われる新興宗教団体が教義として掲げる内容には、悪の設定を自身に都合の良い解釈によって捏造しているケースが多い。いずれにしても社会の福祉を目的にした宗教であるからに、社会的な存在意義を持たない教団は存続する事が困難になるのは必至だ。一般市民にも何らかの合意が得られる内容の教義を持たなくば、社会から居場所を奪われていく事は時間の問題である。 宗教団体は現在、教義や信者数など上辺の形さえ整っていれば法人として活動する事を国から認められる。そしてどんなに危険だと目されている宗教団体でも、疑わしきは罰せずのように明確な犯罪が明るみに出なければ警察からの介入も禁じられているのが現状だ。怪しい活動を行っている団体の場合、その活動の実態を知る者に裁判を起こされるケースもあるが、違法である事が明確に証明されなければ勝訴にする事はかなり難しい。はっきりと違法であると証明できるものを確実に握っている上でなければ勝訴は勝ち取れない。どんな犯罪者でも罰せられた後は社会に復帰する。そして、我らは元犯罪者にも人権が認められるべきだとする考えで接しなくてはならない。不安要素が強いからと云ってその者を社会から抹殺する事は出来ないのだ。不安とは精神的な外傷とも云えそうだが、一般的にそれを根拠にその者を差別する事は法的にも許されないのが現状である。
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北海道大学の宗教社会学の筆者が、カルトの問題について、まとめた全7章の本。現代の社会では、信教の自由が保障されているからこそ、カルトと認定すること、カルトとして対応することは常に困難があると思う。リスク社会と言われる中で、そのリスクは個人が負うべきなのか、社会が負うべきなのか、考...
北海道大学の宗教社会学の筆者が、カルトの問題について、まとめた全7章の本。現代の社会では、信教の自由が保障されているからこそ、カルトと認定すること、カルトとして対応することは常に困難があると思う。リスク社会と言われる中で、そのリスクは個人が負うべきなのか、社会が負うべきなのか、考えさせる知見が多かった。 内容としては、カルト全体像、オウムがテロ的なことが行なったときの各信者の様子、ディプログラミングや脱会カウンセリングなどの宗教を続けることと奪回させることの対立、宗教組織がカルトになる事例、オウム事件におけるテロの暴力的な戦略、周辺住民としてカルトを受け入れる人・受け入れない人、原則リベラルな大学がカルトの温床になってしまう実態など、いろいろと考えさせられた。
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