商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 集英社/ |
発売年月日 | 2005/02/22 |
JAN | 9784087202809 |
- 書籍
- 新書
新人生論ノート
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新人生論ノート
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商品レビュー
3.9
13件のお客様レビュー
筆者は、日本における…
筆者は、日本におけるハイデガー研究の第一人者であるということは知っていたが、本書を通し、哲学者という面以外のところも垣間見たように気がする。それぞれ、13のテーマに沿って、哲学的な話題、時にテレビドラマのことなども織り交ぜつつ筆者の考え方を書いている。「運命について」や「笑いにつ...
筆者は、日本におけるハイデガー研究の第一人者であるということは知っていたが、本書を通し、哲学者という面以外のところも垣間見たように気がする。それぞれ、13のテーマに沿って、哲学的な話題、時にテレビドラマのことなども織り交ぜつつ筆者の考え方を書いている。「運命について」や「笑いについて」、「時間について」が特に面白かった。
文庫OFF
「哲学は難しい」や「哲学者は小難しい」といったイメージを払拭してくれるのが木田元のエッセイだ。氏のエッセイはこれまでにも読んだことがあった。偉ぶらない氏の文体が好きだ。 本書のタイトルは三木清『人生論ノート』から来ており、テーマは多岐に渡る。哲学の知識と自身の経験を織り交ぜて編み...
「哲学は難しい」や「哲学者は小難しい」といったイメージを払拭してくれるのが木田元のエッセイだ。氏のエッセイはこれまでにも読んだことがあった。偉ぶらない氏の文体が好きだ。 本書のタイトルは三木清『人生論ノート』から来ており、テーマは多岐に渡る。哲学の知識と自身の経験を織り交ぜて編み上げるエッセイは読者の知性を刺激する。特に西洋哲学に対する懐疑の一端が示されたところは、目から鱗が落ちる思いがした。 デカルトの言う理性は神の理性の「のれん分け」であって、キリスト教的宗教観がもとになっている。古代ギリシア時代にキリスト教はなかったが、(というよりキリスト教が古代ギリシア哲学をもとに構築されるが)プラトンのイデア論でさえ超自然的な概念である。 超自然的なイデアや神からスタートする西洋哲学が日本人にすんなり飲み込めるわけがあるまい。そして、西洋哲学だけが哲学ではない。木田元の「反哲学」とは「反西洋哲学」という意味なのかしらと想像するが、それが合っているかどうかは氏の著作を読んで確かめたい。
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木田元は戦後の混乱期、海軍兵学校を卒業してもいく場がなく、父も大陸から引き上げて来ず、闇屋で危険な綱渡りをしながら生きてきたのは有名な話だ。本書のなかで、戦後のその時期によく笑っていたと木田は述懐する。 第四章「笑いについて」の中で、ベルクソンの「社会的矯正としての笑い」や、スタ...
木田元は戦後の混乱期、海軍兵学校を卒業してもいく場がなく、父も大陸から引き上げて来ず、闇屋で危険な綱渡りをしながら生きてきたのは有名な話だ。本書のなかで、戦後のその時期によく笑っていたと木田は述懐する。 第四章「笑いについて」の中で、ベルクソンの「社会的矯正としての笑い」や、スタンダールの「優越感にもとづく笑い」を挙げた後、戦後のあの時期の笑いを最もぴったりと言い表しているのが、それらのどれでもなく、坂口安吾の言う笑いだと木田は語る。 「道化は昨日は笑ってはいない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない」そう安吾が言うように、「その場での超越」を笑いがもたらしていたと。 戦後のあのころ、私は笑いころげることによって、どこに逃げ出せるわけではないが、悲惨な現実にとりこまれて窒息するのをまぬがれようと、必死になって「その場での超越」を試みていたような気がするのだ。(p.66) 闇屋になったり、ホームレスに近い暮らしをして、「いざとなれば自分がどんなことを考え、どの程度のことまでできるか見きわめがついたので、いまさら気どってみてもはじまらない」(p.70)という、自分自身に対するペシミズムが根にあって、それだからこそ、あの時期笑わずにはいられなかったし、現在も周囲に対してオプティミストでいられると木田は言う。
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