1,800円以上の注文で送料無料
レヴィ=ストロース講義 平凡社ライブラリー543
  • 新品
  • 書籍
  • 新書
  • 1226-27-00

レヴィ=ストロース講義 平凡社ライブラリー543

クロード・レヴィ・ストロース(著者), 川田順造(訳者), 渡辺公三(訳者)

追加する に追加する

レヴィ=ストロース講義 平凡社ライブラリー543

1,320

獲得ポイント12P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 平凡社/
発売年月日 2005/07/10
JAN 9784582765434

レヴィ=ストロース講義

¥1,320

商品レビュー

4

13件のお客様レビュー

レビューを投稿

2025/02/21

#平凡社ライブラリー #レヴィストロース 人類学の現代的な役割を語った講義録。人類学の大家の言葉は 簡潔で深い 人類学はどのような学問で、どのような視座で対象を観察するのか、よくわかる *人類学研究は 望遠鏡を用いた作業である *人類学の野心は 全体性〜社会生活を一つ...

#平凡社ライブラリー #レヴィストロース 人類学の現代的な役割を語った講義録。人類学の大家の言葉は 簡潔で深い 人類学はどのような学問で、どのような視座で対象を観察するのか、よくわかる *人類学研究は 望遠鏡を用いた作業である *人類学の野心は 全体性〜社会生活を一つの体系として見る 富を社会的価値のあるものに変換することに「未開社会の豊かさ」を見出し、無秩序を作り出す現代社会の転換を主張している 名言の数々 「どのような文化であれ、あらゆる文化は雑種である」 「人類の進歩は、運を託してテーブルの上にサイコロを投げる、博打うちに似ている」 人類学とはどのような学問で、どのような視座で対象を観察するのか *人類学は「人間の現象」を研究する学問 *人類学研究は 望遠鏡を用いた作業である *自らの文化を理解するには、他者の視点から見る術を身につける *人間の特性を発見するには、まず差異を観察する *人類学の第一の野心は 客観性に到達すること〜異質な時空間の概念対立や矛盾の概念を取り入れ、新たな思考のカテゴリーを作る *人類学の第二の野心は 全体性〜社会生活を、すべての側面が互いに有機的に結びついた、一つの体系として見る 人間社会が成り立つための条件は、自己再生産すること〜社会が新しいメンバーを補充して、自己を永続的に維持していくこと 文化は秩序を作り出し〜社会は多くのエントロピー(無秩序)を生み出す *文化とは、ある文明に属する人々が世界と結ぶ関係の全体 *社会とは、それらの人々がお互いに結ぶ関係 未開社会は生み出された糧としての富を、道義的社会価値のあるものに変換する力をもった原理の上に作られている 私たち自身のものに比べて、衝撃的で非合理に見えるものであっても、それぞれの社会の慣習や信仰は、ある体系を成していること〜その内的均衡は、数世紀をかけて達成されたものであり、一つの要素を除くだけでも、全体を解体させる危険がある 異なった社会の異なった慣習の輸入ではなく、異なった社会の光に照らして、私たち自身の社会で生まれつつある慣習について考える 神話と歴史の違い *神話は、それぞれ異なった物語を語っているように見えながら、挿話の配列を変えただけで、同一の物語を語っている *歴史は〜現在が過去と異なるように、未来も現在と異なるということを期待させるためのもの

Posted by ブクログ

2024/07/04

1986年のレヴィ=ストロースの日本での3回の連続講義の記録。 レヴィ=ストロースはとにかく沢山の分厚く、難しい本があって、とてもそれらを読んでいく気力や体力はないのだが、どんな本が出ているかくらいは知っているつもりだった。 が、この本はなぜだかチェック漏れで、最近、「モンテ...

1986年のレヴィ=ストロースの日本での3回の連続講義の記録。 レヴィ=ストロースはとにかく沢山の分厚く、難しい本があって、とてもそれらを読んでいく気力や体力はないのだが、どんな本が出ているかくらいは知っているつもりだった。 が、この本はなぜだかチェック漏れで、最近、「モンテーニュからモンテーニュへ」を読んだついでにアマゾンを眺めていて、その存在を発見し、読んでみた。 いや〜、やっぱこの人すごいな〜、いいな=としみじみ思ってしまった。 テーマが、人類学そのものではなく、現代の社会に人類学はどんな貢献ができるのか、といったことで、彼の本や講義記録と比べて、とても分かりやすい。 語り口も平易で、いわゆるフランス現代思想的な難解さからは限りなく遠い。話しの内容もある意味良識的というか、モンテーニュ的というか、モラリスト、ヒューマニスト的なもの。といっても、現代の支配的な言説からすると、かなり違うラジカルさがある。 やっぱ、この人好きだなと思う。大昔、彼の「悲しき熱帯」や「野生の思考」を読んだときに感じた感じが蘇ってきた。 内容の説明は省略するが、この本の良さの一つは、レヴィ=ストロースの講義後に、会場の聴衆とのやりとりがかなり丁寧に収められていること。主に有名な大学の先生が中心のやりたりで、この議論を通じて、講義の意味合いが改めて、いろいろな角度から理解することができる。また、大学の先生以外のいわゆる社会人というか、実務系の人とのやりとりも、ほのぼのとしつつも、とても本質的なところに議論を進んでいくところが良い。 さて、この本はもう40年も前の講義で、しかも現代社会の問題と関連付けながら話されているにもかかわらず、全く古くなっていないことは驚きである。 今読むと、スラスラと理解できるような話しではあるのだが、多分、86年の時点の私には理解できないというか、すらっと読み飛ばしてしまっただろうことも多い気がします。 そして、質疑応答のやりとりから想像するに、当時のこれを聞いた人も、多分、その時点では含意を掴み取ることができないところもあったのではないかと思う。 この講義の数年後に冷戦が終了したり、日本でのバブルが崩壊し(講義の中では絶好調の日本な感じでの言及がある)、民族的な紛争が起き、エコロジカルな観点で環境の悪化が進み、誰にも現代社会の問題が明らかになったわけだが、この本での議論は、この40年間に起きたこと、そして今起きていることを理解していく上で有効な視点をしっかりとカバーしていることに驚く。 そして、その基本的な視点は、実は1937年に行われた「革命的な学としての民族誌学」から大きなところでは変わっていないことにさらに驚く。

Posted by ブクログ

2017/01/31
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

・人類学者は、現代社会に生きる人々に、これこれのエキゾティックな社会の観念あるいは慣習を取り入れるよう、提案しているわけではありません。私たちにできることははるかに控えめなものであり、二つの方向性をもっています。 第一に人類学は、私たちが物事の秩序に内在する「自然の理」とみなしているものが、私たちの文化に固有な精神的拘束や慣習にほかならないことを明らかにします。人類学は、私たちの眼から鱗を落とし、考えられないような不道徳行為とも思える習慣が、別の社会においていかに、またなにゆえに単純かつ自明のものでありうるのかを、理解させてくれるのです。 第二に、人類学者が収集する事実は、数世紀、ときには数千年にわたって行われてきたものであり、地球上のあらゆる場所に存在する社会から集めた、きわめて広範な人数の経験を代表しているということです。これらの事実から人類学者は、人間の本性における「普遍的なもの」を明るみに出し、現在もなお方向の定まらない事態が、どのような枠組みの中で展開していくのか、そしてそれを頭から偏向だときめつけるのは間違いであることを、示唆するのです。 ・たとえばメラネシアでは、男はこれ見よがしに自分の姉妹の所帯の面倒を見ることを社会的な務めとし、また農耕の霊とよい関係を保っていることを、収穫したヤム芋の大きさによって誇示しようとします。そしてこのような技術的、文化的、社会的、宗教的なさまざまな配慮のために、彼はいきいきとしているのです。 人間はただ単に、より多く生産することに意を用いるのではありません。このことを経済学者が忘れるとき、人類学はそれを思い出させようとするのです。人間は、仕事をとおしてその本性に深く根差した欲求―個人としての感性、自らの印を物質に刻みこみ、作品を通じて自らの主観に客観的表現を与えるという欲求を実現しようとするのです。 ・神話的思考は、観念のあいだに関係を設定するかわりに、天と地、地と水、光と闇、男と女、生のものと火にかけたもの、新鮮なものと腐ったものなどを対置します。こうして、色彩、手ざわり、味わい、臭い、音と響きといった感覚でとらえられる質を用いた論理体系が作り上げられるのです。神話的思考はこれらの質を選び、組み合わせ、対置することによって、何らかの形で暗号化されたメッセージを伝えるのです。 ・私たちの社会には、もはや神話は存在しません。人間の条件、自然現象の提起する問題を解くために、私たちは科学を頼りにします。より正確に言えば、問題のタイプによってそれぞれの専門分野の助けを借りるのです。 しかし、果たして常にそれですむのでしょうか。文字をもたない人々が神話に求めるもの、人類が数十万年、いや数百万年にわたる人類史を通じて神話に求めてきたものは何なのでしょうか。それは私たちをとりまく世界の秩序と、私たちが生まれた社会の構造を解き明かし、その存在理由を示すことであり、世界全体あるいは個々の社会が、始原の時に創り出された姿のまま存続してゆくであろうという、心を安らかにする確信を与えることでした。 ・2、3世紀前から西欧文明はとりわけ科学的知識を求め、それを実用化することに意を用いてきました。こうした基準に従えば、一人当たりの使用可能エネルギーこそ、人間社会の発展の程度をもっともよく表しているということになります。 私たちがこのような基準ではなく、厳しい地理的環境を克服する能力を基準にしていたら、エスキモー(イヌイット)とベドウィンが首位の座を占めていたでしょう。インドは他のどの文明にもまして、人口不均衡からくる心理的問題を小さくする哲学的宗教的体系を作り上げました。またイスラムは人間活動のあらゆる形態、すなわち技術、経済、社会、精神などを緊密に結びつける理論をうちたて、その人間・世界観によってアラブ人が中世の知的世界でどれほど際立った位置を占めたかは、周知のとおりです。 中近東およびアジアは、西欧に身体と精神との関係、そして、人間の身体というこの至高の機械の利用に関して、数千年先んじています。オーストラリアの先住民は技術、経済の分野ではたち遅れたものの、きわめて手の込んだ社会的家族的体系を作りあげ、その解読のために、現代数学を適用しなければならなかったほどです。

Posted by ブクログ