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炭鉱町に咲いた原貢野球
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炭鉱町に咲いた原貢野球
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1965年夏、三池工業高校は夏の甲子園で初出場、初優勝した。50年代末からの激しい労働争議、63年の三川鉱炭塵爆発、大牟田は激しく落ち込んでいた。すべての市民は、分断されていた。家族も分断されていた。ぎすぎすした時代だった。 原貢は、当時すばらしい指導者だった。今では許されないス...
1965年夏、三池工業高校は夏の甲子園で初出場、初優勝した。50年代末からの激しい労働争議、63年の三川鉱炭塵爆発、大牟田は激しく落ち込んでいた。すべての市民は、分断されていた。家族も分断されていた。ぎすぎすした時代だった。 原貢は、当時すばらしい指導者だった。今では許されないスパルタ指導だった。たぶん選手たちは完全に納得していたわけではないだろう。スポーツの世界、今でも昔でも結果がすべてなのである。甲子園出場、優勝がすべてであった。選手は納得し、激しい体罰も物語りに書き換えることができた。そして、原貢は英雄になった。 三池工業の優勝と、それに伴う大牟田市民の興奮、一時的な融和、祭り、それは原貢とは何の関係もないところにある。市民を覆っていた政治性ゆえに、祭りが発生したのである。夢を見たかったのである。ファンタジーだった。そんなことがどうしても必要だったのである、あの時代の大牟田には。 そういう意味では、ファンタジーだし、歴史というのは面白いものだと思う。フィールド オブ ドリームなのであった。 著者がこうやってまとめてくれたおかげで、僕はまた一つ大牟田の歴史を知ることができた。
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