商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 偕成社/ |
発売年月日 | 2004/10/01 |
JAN | 9784030052307 |
- 書籍
- 児童書
わたしのおじさん
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わたしのおじさん
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商品レビュー
3.7
22件のお客様レビュー
こんな世界観は初めて見た。母親の精神世界の中で、これから生まれようとする娘と、8歳の頃に亡くなった母親の弟が対峙する、生死の境界を超えたような世界観は。 実際には会うことの叶わない、母の弟「こうちゃん」は「わたし」のおじさんにあたり、その二人が、この世界では同級生のような...
こんな世界観は初めて見た。母親の精神世界の中で、これから生まれようとする娘と、8歳の頃に亡くなった母親の弟が対峙する、生死の境界を超えたような世界観は。 実際には会うことの叶わない、母の弟「こうちゃん」は「わたし」のおじさんにあたり、その二人が、この世界では同級生のような姿で交流しながらも、行かなければならない場所があることに気付き、そこではもしかしたら、良い思いをするとは限らないかもしれないけれど、それでも行かなければならない。何故ならば、そうした思いを抱いていたのは、彼女も同様だったからである。 こうちゃんは、8歳の頃、当時11歳の姉の縄跳びを借りようとして断られたことに、つい「けちんぼ!」と言ってしまい、言った後で後悔したものの、そのまま外に飛び出した時、車に轢かれ亡くなってしまった。 おそらく姉の心の中では、それに対する言葉にできないものを、今日までずっと抱えていたのだろうと感じられたが、この世界で何をしたところで、現実に生きている姉の心が変わるわけではない。 それならば、この世界での出来事に、いったい何の意味があるのかというと、少なくともこうちゃんがずっと感じていた、姉に対する申し訳なさと後悔の気持ちは晴れるのかもしれない。 そして、もう一つは生まれてくる前なのに不安な気持ちを抱いていた、わたしの、母の娘として生まれてこようとする心積もりを描いていることであり、そうした不安は、母の精神世界である、灰色の雲の向こうに少しだけ覗いている薔薇色の空や、見通しの良さに反して空虚さも感じられる、どこまでも広がった草原や、時折降りしきる雨にも表れているようで、特に雨には、思わずこうちゃんの古傷も痛くなるような深い悲しみで満ちていた。 しかし、時折現れる、こうちゃんの両親(わたしにとっては祖父母)や、草原の上を飛ぶ、四つ葉のクローバーをくわえた鳥など、彼女の世界には希望を感じさせるものがあることも確かであり、そこでわたしが生まれてくる前に知ったことは、母の名前や好きな物、将来なりたい仕事、そして人生は辛く悲しいことばかりではないことであり、特にわたしが、釣りをしている「じぃじ」と船に乗った場面で、何も釣れないけれども水面を見つめてにこにこしていた、じぃじの歌が心に響く。 ひねくれものが 水辺でじっと立っている はずれものが 寒いところで立っている あれはわたしのハンノキ たくさん実をつけるりっぱなハンノキ ハンノキの花言葉は『不屈の心』であり、おそらくじぃじは、わたしが誰なのか分かっていて歌ってくれたのだろうと思う。 湯本香樹実さんは、酒井駒子さんとの絵本「くまとやまねこ」もそうだったが、死というひとつの出来事に対して、とても真摯に向き合う方だと改めて感じ、人は死んだ瞬間、そこで全てが終わるのではなく、その魂や心はきっと目には見えなくとも、どこかでずっと生き続けているんだということを描くことで、亡くなった方への敬意を表しているように、私には思われた。 そして、本書の最も好きなところは、僅か8歳で亡くなったこうちゃんと、これから生まれようとする、わたしとを相対することによって、こうちゃんの姉(わたしの母)がどんな人なのかを知ることができると共に、こうちゃんがどんな人生を送ってきて、将来はこうありたいということを知ることで、もし生まれてきても、そこに彼は存在していないのかもしれないが、それでも彼が生きていたという事実や、その思いを誰かに知ってもらうということが、その人にとって、どれだけ心の癒しになるのか、それを慮ったとき涙が零れてしまい、湯本さんがどれだけの思いを込めて、このタイトルにしたのか分かるような気がした。 更に、そこでの消えてしまう思い出には、もしかしたらという期待を込めて、デジャビュ感と重ね合わせていることにも感銘を受け、その捉え方素敵だなと感じると共に、きっとそうだよと信じたくなる点に、私達は、こうして死者の思いを汲んで生まれてくるのではないかといった、実は人と人との間には生死を超えた見えない繋がりがあるのかもしれない、そんな可能性を提示してくれた。 また、植田真さんの余計なものを一切加えず、登場人物の表情も極力感情を表さないようにしている絵には、その世界に於ける彼らの無垢で繊細な思いや、言葉にしたくてもできない思い、言葉には決してしたくない思いが、複雑に絡み合ったようであり、それでも僅かに描かれた花や小鳥が、どこか寄り添ってくれるようでもあった、そんな陰ながら見守っている思いが、ひしひしと伝わってくる優しさにも癒された、改めて生と死について、色々と考えさせてくれる作品だと思う。
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これから生まれる女の子は出会う。死んでしまった自分のおじさんに。おじさんは女の子のお母さんの子どもの頃に死んでしまった弟。閉じたお母さんの心に呼びかけるおじさんとの旅。おじさんとの思い出は忘れてしまってもきっと心の奥底に根付いてくれる。 死ぬこと、生きること。死んだ人、残された人...
これから生まれる女の子は出会う。死んでしまった自分のおじさんに。おじさんは女の子のお母さんの子どもの頃に死んでしまった弟。閉じたお母さんの心に呼びかけるおじさんとの旅。おじさんとの思い出は忘れてしまってもきっと心の奥底に根付いてくれる。 死ぬこと、生きること。死んだ人、残された人、これから生まれる人。死と生が交差する世界。死んだ人も生きている人も同じ世界にあるってことだ。続く。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
いつか、わたしは思い出すだろう。 遠い昔、はるかな草原をあなたと旅したこと。 草原が広がるこの地で、わたしがコウちゃんと過ごしたこと。 しりとりしたりトランプをしたり、コウちゃんのお父さんとお母さん それはわたしの祖父母で、コウちゃんはわたしのおじさんだった。 コウちゃんはわたしのお母さんの弟で、 お母さんが11歳のときに、交通事故で亡くなった。 縄跳びをするお母さん。 コウちゃんやこの草原と別れてお母さんに会いにいくよ。 わたしはいつかきっと、ここで過ごしたことを覚えているはず。 こういう雰囲気の話、書くのは簡単そうで難しいだろうなあ。 絵がまた雰囲気が出ていていい。
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