商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | KTC中央出版/ |
発売年月日 | 2002/03/17 |
JAN | 9784877582203 |
- 書籍
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その時歴史が動いた(12)
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その時歴史が動いた(12)
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今回のシリーズは、元寇とポツダム宣言にまつわるエピソードを各々2回に渡って放送されたものが収録されていて、私にとっても非常に興味のある内容でした。 昔は、奇跡的に2回とも暴風雨(神風)に助けられて国難を逃れたというように学校で学習したと思いますが、1回目の来襲の位置づけ、2回...
今回のシリーズは、元寇とポツダム宣言にまつわるエピソードを各々2回に渡って放送されたものが収録されていて、私にとっても非常に興味のある内容でした。 昔は、奇跡的に2回とも暴風雨(神風)に助けられて国難を逃れたというように学校で学習したと思いますが、1回目の来襲の位置づけ、2回目の来襲をなぜ防げたかについて、今回の特集でよく理解することができました。 ポツダム宣言受諾についても、元寇以来の国難に対して、昭和天皇は素晴らしい決断を下されたのだと思います。本当の国難に直面したときには、官僚(当時は軍人)には自分たちの権益、将来の処遇を考えると日本のためを思った決断ができなかったのでしょう。現在もまさに同様のことが起きていると思います、その役目は現代では政治家(首相を中心とした内閣)だと思いますので、日本を動かす人達には頑張っていただきたいと思いました。 北条時宗、起死回生の決断/モンゴル軍壊滅の時 ・フビライの功績は、13世紀において本格的に使用できる紙幣(つまり銀と兌換できる紙幣)にしたことが画期的(p33) ・フビライは南宋が日本との貿易によって得られる金の輸入を断ち切りたいという思いもあった、フビライに必要な銀があると考えたが事実は、銀の採掘は当時は殆どなかった(p35) ・徹底抗戦の北条時宗に対して、異母兄の時輔は朝廷の意見に同調して「国交樹立」を唱えたが、時宗によって殺害された(p37) ・鎌倉時代は江戸時代と異なり、承久の乱にて幕府は朝廷に勝ったが、依然として朝廷はかなりの権威と権力を持っていた、事実上、2つの政府があった(p42) ・文永の役では、急襲した翌日(10月21日)に撤退しており、威嚇のための戦いと考えられている(p47) ・弘安の役では、上陸を許さなかったので、先発隊(東路軍:4万)は壱岐に戻って、後続の江南軍(10万)を待ったが、その間(1ヶ月間)に疫病がはやり(3000が死亡)、船が腐り始め、食料が尽きかけた(p55) ・江南軍と合流して(3500隻を加えた合計4400隻)総攻撃の号令を発したとき(7月30日)に、暴風雨がモンゴル軍を襲った(p56) モンゴル軍来襲・先がけの功我にあり/九州武士・竹崎季長の戦い ・鎌倉幕府は、関東の武士を中心にした政権であったので、幕府直属の武士は優遇を受けたが、西国(とくに九州)の武士は恵まれていなかった(p78) ・当時の所領相続は分割相続であった(完全均等ではないが)ので、徐々に割当の土地が少なくなり、相続の度に身内で争いが起きていた(p79) ・幕府は元寇来襲時に、神社と仏閣に「敵国降伏」を祈るように命じた、その祈祷によりモンゴル軍の侵攻を防いだという考えが日本人の中にあった(p94) ・ついに、季長は熊本県小川町海東郷に40町の恩賞を得ることができた(p100) そして人は空を飛んだ/ライト兄弟に先がけた男・二宮忠八の挑戦 ・1889年、二宮はカラスが滑空するのをみて、羽ばたかなくても空を飛び続けることができることを気付いた(p120) シリーズポツダム宣言・米ソの攻防①/原爆投下・トルーマンの決断 ・トルーマン大統領は、副大統領時代には、ルーズベルトが戦争終結に向けて進めていた重要な施策(原爆製造)について、なにも知らされていなかった(p165) ・ポツダムに向うトルーマンには3つの切り札があった、1)ソ連の対日参戦、2)天皇制維持を含む降伏勧告、3)原爆投下、である(p172) ・アメリカがポツダム宣言からソ連を外そうとしたのは、ソ連が社会主義の祖国として自分の国を守るために、国境の外に衛星国をつくろうとしていたことが分かったから(p185) ・原爆投下候補地は、広島・小倉・新潟・長崎、決行日はポツダム会談終了後の8月3日以降(p189) シリーズポツダム宣言・米ソの攻防②/ソ連対日参戦・スターリンの焦燥 ・ソ連は第二次世界大戦において、2000万人以上の犠牲者を出していた(p209) ・ソ連は連合国の中で、日本が唯一交戦していない国であり、ソ連の仲介を通じて連合国との和平工作を進めようとしていた(p213) ・中国(国民政府)がソ連に対して強気の姿勢を崩さなかったのは、アメリカの圧力(ソ連の要求には譲ってはいけない)があった(p233) ・ソ連は、釧路と留萌を結ぶ線による北海道分割を提案したが、アメリカは日本全土を占領下に置くことで、スターリンの要求を拒否した(p239) ・ポツダム宣言から敗戦までに日本人が受けたものは大きい、原爆・中国残留孤児・シベリア抑留、である(p242)
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