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ジャン=リュックナンシー(著者), ジャン=クリストフバイイ(著者), 大西雅一郎(訳者), 松下彩子(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 松籟社
発売年月日 2002/07/01
JAN 9784879842213

商品レビュー

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2012/12/31

ジャン=リュック・ナンシーは最近注目しているのだが、この本は少々微妙だった。 表題の論文「共出現」で、ナンシーはソ連崩壊、東西冷戦の消滅によりマルクス主義が急速に「過去のもの」として片付けられつつある状況に「怒り」を表明している。フランス現代思想は大半の思想家が実はマルクス主義だ...

ジャン=リュック・ナンシーは最近注目しているのだが、この本は少々微妙だった。 表題の論文「共出現」で、ナンシーはソ連崩壊、東西冷戦の消滅によりマルクス主義が急速に「過去のもの」として片付けられつつある状況に「怒り」を表明している。フランス現代思想は大半の思想家が実はマルクス主義だったり、あるいはそれに接触をもっていたりするのだが、やはりナンシーもそっち系だったか。 ナンシーが繰り返す「コミュニズム」は直訳すれば「共産主義」に他ならないが、彼の場合、「共-に-存在すること」という「共有」のテーマを意味している側面が強く、ただちにマルクス主義と切り捨てることはできない。 マルクス主義には距離をもって接してきたわれわれから見ると、ソ連などの社会主義国家は結局「官僚制」にコントロールを委ねることによって、そこに非=民主主義的な権力構造が生まれ、どんどん腐敗せざるを得なかったように思われる。 そもそもマルクスは「労働者たちよ、立ち上がれ」と呼びかけたのであり、かれの言うコミューンとは、「階級の連帯」にほかならなかった。これは、日本民俗学や人類学が描写してきた庶民的・古代的な「共同体」とはおのずと大きく異なるものだ。 「階級」をモナドの単位として構成することに固執するかぎり、それは決して「人間=存在」を包摂することはできなかったのではないか? これがマルクス主義について私が思うところだが、ナンシーの考えでは、存在論的な「共-存在」はどうやら共産主義的な「連帯」とまだ結びついているようなのだ。 だからこそ、ナンシーは「分有」という概念を持ってくるのだ、と今回やっと気づいた。 それと、本書はちょっと翻訳もあまりよくないかもしれない。 それでもまあ、ナンシーの思考に面白みがないわけではなく、それなりに楽しんで読んだ。

Posted by ブクログ

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