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大清帝国 講談社選書メチエ174
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2000/01/10 |
JAN | 9784062581745 |
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大清帝国
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商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
現代の中国が省制を敷いているところは清朝で言うところの直接統治の東北部と中国内地に、自治区制を敷いているところは間接統治の藩に概ね合致する。現代中国には、清朝が与えた影響が色濃く見られる。 ヌルハチは16世紀末に建州部を統合すると、17世紀はじめには女真族を統合。続くホンタイジは満・蒙・漢を統合して皇帝となり、国名を大清に改めた。ヌルハチの時代においてはハンは八旗の中の一旗の主にすぎなかった。そこでホンタイジはハン=皇帝として旗制の制約の打破を図った。これは部分的なもので、続く順治帝は1644年に北京に入場、皇帝を兼ねるに至る。次の康熙帝は1673年の三藩の乱を抑えることで漢族を併合。5代の雍正帝は、4代と6代に象徴される対外政治とは対照的に、内政に尽力した。中国伝統の官僚制を取り込むことで、いわば絶対権を確立した。清朝の最大版図を実現したのは6代乾隆帝である。だが、度重なる出兵と官僚の腐敗は国力の低下を招いた。なぜ版図を広げる必要があったか?清朝は経済基盤を中国内地に求めており、この支配を脅かす外部勢力の脅威を解消するいわばバファーとして間接統治する藩部が必要だった。 こうして見てくれば、ロシアが周辺国を緩衝地帯と捉えれているのは、清の、あるいは現代中国の領土政策と通じるところがあるのでは?と思った。
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満州族の一小国が明を滅ぼし大清国を築き完成させてゆくまでを解き明かす。初代ヌルハチ、二代ホン=タイジ、順治帝、康煕帝、雍正帝、清国の版図を最大限まで広げたが他方では衰退の道に導いた6代乾隆帝までを解説する内容。
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「中国五千年の歴史」といわれるように、中国は長い歴史を持っているが、その中で最後の王朝といわれる「清朝」にのみスポットを当てた本である。女真族である満洲族の一小国が、あの大きな中華世界をのみこんだだけでなく、イスラムの世界をも取り込み、それまでの中国では最大の版図を築く。このと...
「中国五千年の歴史」といわれるように、中国は長い歴史を持っているが、その中で最後の王朝といわれる「清朝」にのみスポットを当てた本である。女真族である満洲族の一小国が、あの大きな中華世界をのみこんだだけでなく、イスラムの世界をも取り込み、それまでの中国では最大の版図を築く。このときすでに満洲族、モンゴル族、漢族、チベット族、ウイグル族の五族による中国が形成される。いわゆる「五族協和」の原型ともいえる。 中国においてはマイノリティといえる満洲族が政権を担うわけだから、他民族の扱いには大変な苦心をしたようだ。その一つの表れが「合璧文字」といわれる、一つの言葉に対して複数の異なる種類の文字を用いて表す方式だ。つまり避暑山荘正門の額などは、モンゴル、ウイグル、漢、チベット、満の五体合璧となっている。そうは言いながら、満洲族の習慣である辮髪を強制し、強い反発にあうと即座に撤回してみたり、中国の大半を占める漢族には受け入れがたい施策もあったようだ。 清朝の歴代皇帝の中でも、第4代康熙帝、第5代雍正帝、第6代乾隆帝の時代が最も清朝が輝きを放った時代だと言われる。歴史的にも重要な事柄が集中しているようだ。西太后や溥儀らの事件も清朝の歴史全体を通してみればほんのちょっとしたことなのかもしれない。 本書は前半のほとんどを女真(満洲)族が満洲の地で建国し、後に北京に進出し「清」として中国全土を支配するに至った清国の成立過程に費やしている。だから中国にいきなり満洲族の国家が誕生したわけではないことが納得できる。西太后のことなどはほとんど触れていないが、私はこれで満足できる。 ただ、地図や年表がとても貧弱なため、別に資料を用意せざるを得ないので、これはもう少し配慮がほしかったところである。
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