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国土づくりの礎 川が語る日本の歴史
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 鹿島出版会/ |
発売年月日 | 1997/06/10 |
JAN | 9784306023208 |
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国土づくりの礎
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国土づくりの礎
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商品レビュー
3.5
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さらっと通読。 利根川・荒川と淀川をメインとして、他に木曽川、少し筑後川にも触れながら、河川と流域の歴史を解説。 ただ「国土づくりの礎」とか「川が語る日本の歴史」とまでは、やや誇大なタイトルにも思った。(川(と地域)の歴史、じゃんねぇという感じ。) また、著者自身があとがきで語...
さらっと通読。 利根川・荒川と淀川をメインとして、他に木曽川、少し筑後川にも触れながら、河川と流域の歴史を解説。 ただ「国土づくりの礎」とか「川が語る日本の歴史」とまでは、やや誇大なタイトルにも思った。(川(と地域)の歴史、じゃんねぇという感じ。) また、著者自身があとがきで語るように、小出博『利根川と淀川』(岩波新書になっている名著)のことを想起せざるを得ないが、それに比べて記述がかなり詳細。 利根川・淀川をより詳しく理解しようという場合にはよいが一方でやや冗長にも感じてしまった。 著者は、小出の著作は自然条件に寄っているとか、自書にはその後の知見も反映されている等とか記しているが、どうだろうか。 印象に残ったこと: 【古代の開発と地質】P36 大和盆地周辺、中国地方の吉備・出雲、九州大宰府周辺など、古代に開発され大きな力をもった地域が、マサ地域を背景にしてること。 日本の花崗岩はマサ化作用(砂粒化)を受けており、深部までが砂であるゆえに、 ・傾斜地で畑作農業が容易だったこと(降雨によって表土が流出したとしても耕作が容易で永続的に畑作が行えた)、 ・水田経営上、用水利用が便利であったこと(深部まで砂状なので保水力が大きく、山地全体が貯水池となって渇水時でも流量が相対的に大きい。そのため谷部に広く水田が開かれ、山地の前面に展開) ※さらに、扇状地・自然堤防地帯などではある程度の勾配があり、配水・排水が容易だった ・さらに古代の技術でも良質な鉄が確保できたこと ――ただし、傾斜地農業や鉄の生産は、マサ地帯をはげ山にした。昭和のはじめまで多く見られたはげ山はマサ地帯がほとんどだったそう。 【近世の上水道・下水道整備】P67 上水道整備について、京都・大阪・新潟・広島といった当時の大都市には上水道がなかった。京都は鴨川の扇状地であるがゆえに浅井戸で上質な水が得られ、大阪や広島や新潟では大河川から水が容易に得られたため。 一方、広島では、「水道」とよばれた都市下水道が都市の中を流れ、太田川から導水して汚物を流下させていた。 市街地の中に河川水を導入していた都市は多く、高山、津和野、郡上八幡など、 【近世中期、淀川水系での土砂浚渫】P82 大阪に上流から流れたきて堆積する土砂は不断に浚渫することが不可欠だった。 このため町人や廻船が負担して浚渫が行われ、特に天保二年(1831年)には安治川・木津川の両河口が土砂で埋まり舟運に支障が生じた際、幕府の補助と町民の寄付で浚渫されたが、このときの浚渫土砂で天保山が築かれ、河口入港の際の目印となった。 【デレーケの活躍とオランダ】P116 デレーケは、一時帰国したあと再来日すると意見が変わることがあたった。知識の進歩と地方の状況把握により一層の完全を目指したものと思われるが、特にデレーケの河川改修に対する認識の深化によるものが大きかったようだ。 デレーケに限らず、オランダ人技術者たちは、ヨーロッパから決して孤立しているのでなく、十分な連絡を保ち、母国の知識・経験を得て判断していった。すなわち、オランダの知識・経験をもとにして、日本の河川改修計画を考えていった。 【河川法と木曽川改修】P155 M29河川法の制定当時、信濃川、木曽川等では、国により河川事業が行われていた。 特に木曽川では、三川分流がM20年度より10か年の工期で進められていたが、現地では多大な苦労のもとに行われており、この経験は河川法の内容にかなり影響を与えたものと考えられる。 というのも、河身工事、背割堤、河口導流堤、閘門、砂防等は国直轄で、築堤は地元の県、付帯工事は地方費からの補助も得て、それぞれの管理者負担とされたが、この縦割りにより、浚渫による発生土の築堤への流用や、国と県との共同買収といった協議に、煩雑な手数を要していたのである。 旧河川法では、費用負担を明確にし、施工主体を一体化し、これらの不便を取り除く規定となっている。この、費用は分担するが工事は統一的に進められるという規定は、木曽川の経験を踏まえたものだと考えられる。 加えて、用地取得のための用地測量や訴訟対応にも困難を極めたという経験も旧河川法に反映されたとみている。 【※その他】 (P166)御囲堤を例に、旧市街地(尾張)側の堤防を強固にする事例があちこちで行われていたと説明されているが、この点は、そのように言い伝えがあるだけで、実際にそうだったのかについては明らかでないはずだが・・・。 (P179)木曽川多いダムによる発電は、水路式からダム式に発電が移行するときの先駆であった。そしてそういった水力発言を推進したのが逓信省。内務省と逓信省との間で権限争いだったとのことで、時には緊密しつつも、時には単独で(縦割りのまま)通知を発出するなどしてきた。
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長岡京遷都の理由など、日本の河川と社会との関係を河川工学の側面からとらえた書。筆者独自の視点が興味深かった。
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