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閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本 文春文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
| 発売年月日 | 1994/01/01 |
| JAN | 9784167366087 |
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閉された言語空間
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閉された言語空間
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商品レビュー
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江藤淳 「 閉ざされた言語空間 」 検閲から 公共の利益と 表現の自由の対立を論じた本。効率的な検閲システムによる 占領地の思想誘導に 恐ろしさを感じる 占領地下の日本で行われた検閲から 様々な論点を提示している *占領地下の民間検閲は必要悪か〜占領地下の民間人の思考と言語を...
江藤淳 「 閉ざされた言語空間 」 検閲から 公共の利益と 表現の自由の対立を論じた本。効率的な検閲システムによる 占領地の思想誘導に 恐ろしさを感じる 占領地下の日本で行われた検閲から 様々な論点を提示している *占領地下の民間検閲は必要悪か〜占領地下の民間人の思考と言語を 検閲を通じて改造することは 憲法違反か *占領地下のジャーナリズムは 外国の服従を強制されるべきか〜日本の真実と 米国の真実は 異なる *戦前日本が行った国家権力による検閲と 占領地の米国による検閲の違い そのほか ポツダム宣言や東京裁判を 検閲を通じて見ることで、法的問題点や人間心理の怖さを知ることができる 占領地における検閲 *検閲は 表現の自由の敵のうち最も危険なもの〜非常な危難に備えて必要な場合を除き、この国に存在してはならない *実際は 検閲システムを日本に輸出し効率的に運用した→検閲が必要悪になってしまった *ジャーナリズムが 自国はの忠誠義務から解放され、外国の服従を強制された ポツダム宣言 *合意による敗北であり、征服による敗北でない→敗者の日本には 勝者の米国批判の自由を留保する権利がある *ポツダム宣言上、日本に 言論、宗教、思想の自由は保障 *ポツダム宣言の受諾→米占領軍の民間検閲が 合衆国憲法修正1条に拘束される
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本でしか知れない事実がある。事実は一つでも真実は複数。学校教育で育った私たちはアメリカの真実を教えられても日本の真実を知らないでいる。作者は今日いまだ自由はない、と締め括る。
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言論界で「反米保守」と言えば今でこそ決してめずらしくはないが、しばらく前までは進歩派と言えば「反米」、保守派と言えば「親米」というのが大方の相場だった。その中にあっていち早く「反米保守」の立場から鋭い論考を発表してきたのが江藤淳だ。本書はアメリカの対日占領政策における「War G...
言論界で「反米保守」と言えば今でこそ決してめずらしくはないが、しばらく前までは進歩派と言えば「反米」、保守派と言えば「親米」というのが大方の相場だった。その中にあっていち早く「反米保守」の立場から鋭い論考を発表してきたのが江藤淳だ。本書はアメリカの対日占領政策における「War Guilt Information Program」(日本人に戦争の罪悪感を植え付けるための宣伝計画)として知られる言論弾圧・洗脳工作の実態を、アメリカ公文書館の一次資料にあたって丹念に検証した労作である。本書を読めば、「反米」と見えた進歩派も実はアメリカの手のひらの上で踊っていたに過ぎないことがよく分かる。この研究が一文芸評論家によって行われなければならなかったことを日米関係を専門とする歴史家は恥ずべきであろう。 本書において江藤の批判の矛先は表面的にはGHQでありアメリカ政府である。それはまっとうな批判である。ただ忘れてならないのは、彼らは我々との熾烈な総力戦を戦い抜いた敵国だということだ。二度と自分達に挑戦できないよう、敵の徹底的な無力化を図るのはむしろ当然であろう。それは彼らがいかに日本人を恐れていたかを示すものでもある。ならばより根本的に問われるべきは、どれほど執拗かつ徹底的な洗脳であったにせよ、唯々諾々とそれを受け容れ、骨の髄まで奴隷根性の染み付いてしまった戦後日本とは一体何なのか、もっと言えば、たかが戦争に負けたくらいでプライドも矜恃も投げ捨てて、過去を全否定して平然とするこの国の精神風土の根源は何なのかということではないか。江藤が十分には問い得なかったこの問いこそ、我々が引き受けるべきではないだろうか。
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