- 新品
- 書籍
- 新書
ブッダ物語 岩波ジュニア新書171
990円
獲得ポイント9P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 1990/04/01 |
JAN | 9784005001712 |
- 書籍
- 新書
ブッダ物語
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
ブッダ物語
¥990
在庫なし
商品レビュー
3.9
11件のお客様レビュー
ブッダの教えと、現代に通ずる仏教の心を繰り返し描写してくれている一冊。 私のような学びたての者にも優しい読みやすさ。 またブッダは、神のように厳粛で人智を超越した何かを扱うのではなく、人や出来事に等身大で向き合っていた人なのだなと感じた。
Posted by
カピラ(Kapila)王国の王子。ゴータマ(姓)・シッダールタ(名)。 マーヤー夫人。摩耶。ブッダの母。母マーヤーは白い象になったブッダが天から降りてきて右脇から自分のお腹に入る夢を見る。直後、ブッダを懐妊。産後7日後、母マーヤーは息をひきとる。 ※摩耶夫人像。東京国立博物館・...
カピラ(Kapila)王国の王子。ゴータマ(姓)・シッダールタ(名)。 マーヤー夫人。摩耶。ブッダの母。母マーヤーは白い象になったブッダが天から降りてきて右脇から自分のお腹に入る夢を見る。直後、ブッダを懐妊。産後7日後、母マーヤーは息をひきとる。 ※摩耶夫人像。東京国立博物館・法隆寺宝物館。 ※ルンビニ。ブッダが生まれた地。ネパール南西部。 快楽。高名な仙人がこの子は「最高の悟りに達するだろう」と予言。父はブッダが出家して後継者がいなくなることをおそれ、ブッダに美しい宮殿以外の世界を見せず、あらゆる快楽を与えた。 四門出遊。東の門「老人とは何者か?」「もはや長く生きることはできない者です」▼南の門。「病人とは何者か?」「病から回復するか分からない者です」。▼西の門。「染められた布かごは何か?」「死人です」▼北の門。修行者がいて生老病死を超える救いを見出した。 妻子を捨て出家。ヤソーダラー耶輸陀羅(ブッダの妻)。ラーフラ羅睺羅(ブッダの子)。▼修行。煩悩を滅し、何ものにも捉われない境地。想うことも想わないこともない境地。断食などの苦行。▼スジャータ。苦行をしていたブッダに乳がゆをわたした村の娘。 菩提樹。インド北東部ブッダガヤ。ブッダは木の根元に座って静かに瞑想。悪魔が化物や美女の姿で現れ、煩悩が悟りを妨げようとする。瞑想を初めて7日目、右手の人差し指で地面を触れた瞬間、悪魔は消え失せた。真理を悟り、生老病死の苦しみから解放され、心の安らぎを得た。 梵天勧請。ブッダは悟りの内容は欲望に支配された人々には理解できないと考え、最初、悟りの内容を明かすことはなかった。梵天(バラモン教の最高神)「どうか悟りの内容を広く説いてください」 五人の弟子。ヴァーラーナシー。ブッダが初めて説法をした場所。インド北東部。▼アッサジ。阿説示。ブッダの弟子。五比丘(ごびく 最初の五人の弟子)。 ※憍陳如きょうちんにょ。カウンディンニャ。 ※阿説示あせつじ。アッサジ ※摩訶摩男まかなまん。マハーナーマン ※婆提梨迦ばつだいりか。バッディヤ ※婆敷ばしふ。ヴァシュフ サーリプッタ 。舎利弗しゃりほつ。十大弟子。▼モッガッラーナ。目連もくれん。十大弟子。業の深い母が地獄で苦しんでいたのでブッダに相談。ブッダ「7月15日に供養するように」。盂蘭盆会(旧暦7月15日に祖先の冥福を祈る仏事)の由来。 ※クシナガラ。ブッダが亡くなった地。インド北東部。
Posted by
・『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』の島田裕巳さんが書かれた、『ブッダは実在しない』とあわせて手に入れた『ブッダ物語』…さあ、真実はどっちだ(・・? 島田裕巳さんの『ブッダは実在しない』の次に読みました。書かれていることは、言い伝えに忠実であろうとするためか、まるで、おと...
・『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』の島田裕巳さんが書かれた、『ブッダは実在しない』とあわせて手に入れた『ブッダ物語』…さあ、真実はどっちだ(・・? 島田裕巳さんの『ブッダは実在しない』の次に読みました。書かれていることは、言い伝えに忠実であろうとするためか、まるで、おとぎ話のようで、リアリティに欠けるので、期せずして、ブッダは創られた教祖なのではないか?という疑念を強めるものでした。 しかし、ブッダの教えが時代と共に創造・精製されたものであったとしても、私たちが追い求めるものは、命の炎が弱まるにつれて色あせて行くものであることは間違いありません。ブッダが残したとされる言葉の数々に思いを巡らせ、自らの答えを探す者は、ブッダの弟子と言えるのかもしれません。 「一般向けに、お釈迦さまの伝記を書いてほしい」と編集部から依頼されて執筆されたという『ブッダ物語』は、中村元先生が、できるだけ客観的に書かれたものと思われますが、今ひとつ、先生の思いが伝わって来ない「もどかしさ」を感じるのも事実です。思いは、読者が創出するのかな? これを物語だとすると、いわゆる三人称視点で書かれているんですよね。改めて考えると、童話の殆どがそうなのですが、まさに、その物語に込められた思いを、どのように感じるかは、読者の裁量に任されているのかもしれませんね。
Posted by