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鋼の王国 プロイセン(下) 興隆と衰亡 1600-1947
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | みすず書房 |
| 発売年月日 | 2024/12/02 |
| JAN | 9784622097471 |
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鋼の王国 プロイセン(下)
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プロイセンが大国になるのは強い意志や辺境に位置したこと等もあるが偶然にも大きく左右されたが、ウィーン体制のプロイセンがドイツを統一する過程は偶然ではない。 ・ウィーン体制では、プロイセンは大国の一番下に過ぎず、ドイツ連邦での主導権は取れず、ドイツ関税同盟は然程の効果はなく、憲法の制定もできなかった。 ・プロイセンは分権的で州の集まりに過ぎず、議会も州議会のみ。1847年鉄道敷設・買収のための国債発行の必要性から連合州議会が設置されたが、複雑な構成・議決権・拒否権を持つ連合であった。 ・1847年末のスイス連邦国家の成立、48年1月のパレルモ革命・憲法案、さらに2月革命の衝撃はドイツの諸都市に騒乱をもたらし3月革命へ、ドイツ各邦では自由主義者主体の憲法制定国民会議が開催。ベルリンでは国民会議は階級対立もありまとまらず、11月には国王が憲法を制定し武力で閉会。プロイセン軍の兵士は、議会が急進化すると議会は擁護せず、革命を守るため武力行使に賛同的。また自由主義よりナショナリズムの方がより包括的だった。フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世は、革命当初は統一ドイツに意欲があった。デンマークに男子の後継者が不在になることが予想されると、サリカ法典が適用となる古シュタインと適用外のシュレスヴィッヒとをめぐりデンマークは両公国を分離し後者の併合を宣言した。プロイセンはデンマークに宣戦したが、海上では歯が立たず、ロシア・イギリス・スウェーデン・フランスも介入した。全ドイツ諸邦からなるフランクフルト国民会議はドイツ帝国憲法を制定し、プロイセン国王を「ドイツ人の皇帝」に推挙したが、拒否された。 ・ビスマルクは議会では圧倒的少数・国王の支持も不十分であったが、まず保守的政策により国王の支持強化、軍制改革による軍部の支持を得る。 デンマーク戦争(63-64)、イタリアとの同盟・フランスとの秘密協約・ロシアの中立を確保したうえで普墺戦争(66)。プロイセン勝利の要因はドライゼ銃(後装ライフル銃)による火力戦術(当時は銃剣突減による急襲戦術が主流。なお野戦砲はオーストリアが上)、鉄道を駆使した兵站(ただし成功したのはボヘミアだけ)。戦力はオーストリアと同盟軍が上だが、ザクセン以外の同盟国軍はあまり役立たなかったのとイタリアに軍を取られたのが大きかった。戦争中の下院選挙で与党は勝利。 ・普仏戦争(70-71) フランスはプロイセンに脅威を受け、秘密協約(ルクセンブルク・ザール等)は反故にされ、スペイン王位継承問題に起因するエムス電報事件。1871年ドイツ帝国成立。 ・帝国は諸侯の連邦であり、ドイツ皇帝は連邦主席に過ぎなかった。海軍を除き、官僚機構も陸軍も統合できなかった。 ・1932年プロイセン総選挙でもナチは政権をとれず、クーデターにより33年ゲーリングがプロイセン首相に。プロイセンの解体は結局第2次世界大戦の敗戦による。
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