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三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語
定価 ¥1,705
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 日本能率協会マネジメントセンター |
発売年月日 | 2024/02/28 |
JAN | 9784800591784 |
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三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語
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商品レビュー
3.3
4件のお客様レビュー
NHKの朝ドラは観ていない。しかし、そのモデルになった方で戦前戦後に活躍した女性、それも法曹界で、という事で読んでみた。 作者も法律の専門家。三淵嘉子さんの歩んだ道が大袈裟な脚色無しにわかりやすく書かれてあり、読みやすかった。 女性の社会進出が困難だった時代に、三淵さんだけでなく...
NHKの朝ドラは観ていない。しかし、そのモデルになった方で戦前戦後に活躍した女性、それも法曹界で、という事で読んでみた。 作者も法律の専門家。三淵嘉子さんの歩んだ道が大袈裟な脚色無しにわかりやすく書かれてあり、読みやすかった。 女性の社会進出が困難だった時代に、三淵さんだけでなく法曹界で活躍していた女性達のおかげで、現在、女性の社会的環境もよくなってきているのだなぁと実感。まだまだな点もありますけども。
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朝ドラは8月に入り、いよいよ寅子の再婚に向かっている。TVでは航一さんは妻を戦後すぐあたりに亡くしたような描き方。実際はどうだったのかとウィキを見てみると、妻は昭和30年に亡くなり、三淵嘉子と結婚したのは昭和31年8月。えーっ、妻を亡くして1年で再婚しちゃったの? と実際のところ...
朝ドラは8月に入り、いよいよ寅子の再婚に向かっている。TVでは航一さんは妻を戦後すぐあたりに亡くしたような描き方。実際はどうだったのかとウィキを見てみると、妻は昭和30年に亡くなり、三淵嘉子と結婚したのは昭和31年8月。えーっ、妻を亡くして1年で再婚しちゃったの? と実際のところが気になり、まだ読んでなかった関連本を読んでみた。 前に読んだ伝記は「三淵嘉子と家庭裁判所」「三淵嘉子の生涯」で、再婚には触れてあるが前妻の亡くなった年までは気に留めなかった。 この本では末尾に関連人のミニ紹介文があり、三淵乾太郎のところでは、上品で冷静な紳士として知られ、また嘉子との夫婦仲の良さも多くの人が語るところ。1955年に死別した前妻との間に、長女那珂、二女奈都、三女麻都、長男力がいた。嘉子と結婚した1956年の段階では最高裁判所調査官をしていた、とあった。そうかやはり1年で再婚していた。そして1965年から甲府地方裁判所兼家庭裁判所所長、1964年から東京高等裁判所判事、その後浦和地方裁判所兼家庭裁判所所長を経て1971年に定年退官。 この本には写真も多く載っていて、それが乾太郎氏は当時としてはすらっと背が高く見た目好しだ。やさしそうで、二人で孫を抱いている写真があった。 『二人をいつ誰がひきあわせたのかはわからないが、嘉子が家庭局にいた時の最高裁判所事務局で秘書課長・総務局長を務め嘉子に大きな影響を与えた内藤頼博によれば、嘉子に「白羽の矢」を立てたのは三淵乾太郎の母親である三淵静香で、関根小郷夫妻の媒酌で式を挙げたそうです』とあった。関根は乾太郎の父三淵忠彦の法律本の改訂本の作業を嘉子と一緒にやり、本に2人の名が記されている。 再婚しての生活は、嘉子が亡くなった時の追悼文集などから引用されていいて、乾太郎の長男で末子の力は「昨日、仲睦まじかったかと思うと、今日はもう言い争い・・我が家は平穏とはとてもいいがたい状態になった」「ミスを指摘し、糾弾することは、大変な勇気のいることだった」 と、この部分は今まで読んだ本にも紹介されている。 巻末には見開きで嘉子の年譜。 参考文献が三淵嘉子自身が執筆したもの、インタビューに答えたものが25点紹介されている。「主婦と生活」3-4 1948年、「婦人と青少年」7-9、1959・共かせぎの人生設計 など この本からは、女の人が妻としてではなく、人間として本当に強くなるには、自らの力で生きる自身がついたときではないでしょうか、と紹介されている。 本では60点ほど挙げられている。「追想のひと三淵嘉子」三淵嘉子さん追想文集刊行会 1985 ここから多く引用されているようだ。 「華やぐ女たち 女性法曹のあけぼの」(早稲田経営出版1991.4)で当時は存命だった実子の芳武氏や実弟、などにインタビューもした佐賀千惠美氏 が、朝ドラが始まってからプレジデントオンラインで連載しているが、8.5分では、乾太郎氏も実母は5歳の時に亡くなっていて、再婚時の母は父忠彦氏の後妻だった、と書いている。ドラマでは航一の母は継母として出てくるが、この部分は実際と同じにしたようだ。 https://president.jp/articles/-/84373?page=2#goog_rewarded 2024.3.5初版第1刷 図書館
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当時の人々の女性への認識や風当たりは今とは全く異なり新鮮な気持ちとなった。偏見にとらわれず、まだまだ女性裁判官や弁護士、検事が増えていって欲しいと思った。
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