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『歎異抄』入門 無宗教からひもとく 河出新書058
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2023/03/24 |
JAN | 9784309631608 |
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『歎異抄』入門
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商品レビュー
4
5件のお客様レビュー
「歎異抄は難しい…」と思う人に。
2024年10月読了。
『原始仏教』『大乗仏教』と読んできて、ふと『歎異抄』の事が頭を過った。たまたま自分の
母方が浄土真宗なのだが、浄土真宗は…と云うか、『歎異抄』と云う読み物が何やら≪ヌルヌルして掴み辛い鰻≫の様で、若い頃から何度も解説書を読むのだが、一向...
2024年10月読了。
『原始仏教』『大乗仏教』と読んできて、ふと『歎異抄』の事が頭を過った。たまたま自分の
母方が浄土真宗なのだが、浄土真宗は…と云うか、『歎異抄』と云う読み物が何やら≪ヌルヌルして掴み辛い鰻≫の様で、若い頃から何度も解説書を読むのだが、一向に『腹落ち』してくれないのだ。
こんな事を言うと信者の方からお叱りを受けそうだが、「ただひたすら『南無阿弥陀仏』と称えなさい」と言われても、それで『日々の暮らしの不安が明るくなる訳でも無し』、何と言うか≪やったぞ!!!感≫が起こらないのが、腑に落ちなくて、さりとて坐禅やらお遍路三昧する様な気力、体力、財力も無く、我ながら「酷い凡夫だ…」と思いながら、いつも空しい空振り三振した気分で本を読み終えるのが常だった。
しかし、本書で初めて知って嬉しかったのは、親鸞の師である法然の時代から≪同様の言い争い≫が起きていた事を知ったことだ。鎌倉時代初頭の時代でも『本当に念仏するだけで良いのか』『もっと他に重要な何かしらの行(か真理のような物)が有るのでは…』と、取り沙汰されていた事を知り、「現代を生きる自分と何か(時空を超えて)繋がった思い」がしたのである。
勿論、それは「悪い方向への考え方」であり本書でも否定されてはいるが、いつの時代も考えることはそう変わらない事に、何だか嬉しさを感じたのは、本書を読んでの『収穫』であった。
父方は日蓮宗なので、そちらの勉強も怠ってはいない積もりだが、幸い私の両親は凡そ「宗教・信心」で喧嘩や言い争いなどしたことも無い、至ってよく有る(?)家庭だったので、五十路を過ぎた今、自分の行く末を考える為にも、仏教書を読む生活は続けたい。
…と、そのぐらいの理解度・信心の人が読むにはうってつけの書である事、大変読みやすい書であることは、断然保証する。ま、私の保証など意味は無いが…w。
それにしても「日本人の特性」に(日本の)仏教は他のどんな宗教よりも馴染みが良く、『国民性』にまで浸透している事が、こうして雑読していても良く分かる。これは本当に素晴らしいことだ。
左衛門佐
うちは浄土真宗。歎異抄はまだ読んだことはないけど。 南無阿弥陀仏と称えはするけれどそれがどういうことなのかは、今一つピンときておらず。この本を読んでわかったのは、念仏とは「必ず救う。浄土に救う。だから安心して今しかない生を生きろ」という阿弥陀様からのメッセージだったのだなと。星4...
うちは浄土真宗。歎異抄はまだ読んだことはないけど。 南無阿弥陀仏と称えはするけれどそれがどういうことなのかは、今一つピンときておらず。この本を読んでわかったのは、念仏とは「必ず救う。浄土に救う。だから安心して今しかない生を生きろ」という阿弥陀様からのメッセージだったのだなと。星4つなのは時々難しいなと思うところがあったからだけど、書物としては読むに値する本です。 南無阿弥陀仏。
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歎異抄は築地本願寺で知った仏教であるが、この本のサブタイトルのように私も無宗教であるが故これからが始まりであると考えるています。 法然の弟子である親鸞が教えた「南無阿弥陀」のについてそれが歎異抄のようだ。 親鸞の教えを、間違った解釈をしたりアップデートする人たちが出るので、唯円...
歎異抄は築地本願寺で知った仏教であるが、この本のサブタイトルのように私も無宗教であるが故これからが始まりであると考えるています。 法然の弟子である親鸞が教えた「南無阿弥陀」のについてそれが歎異抄のようだ。 親鸞の教えを、間違った解釈をしたりアップデートする人たちが出るので、唯円が歎異抄として記した。 異なることを歎くと言うものだと知りました。 一人も漏らさないと言うものがあるようで、それは大変心強いものであり救いを頂きました。 もっと歎異抄を勉強したいと思います。
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