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日常生活の精神病理 岩波文庫青642
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2022/06/17 |
| JAN | 9784003364291 |

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日常生活の精神病理
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商品レビュー
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原著は1901年から1924年頃までにかけて増補・改訂されたもの。 本書は人文書院の『フロイト著作集』だと第4巻に入っているもので、フロイト存命中は世界中で最も読まれたベストセラーであったらしい。日本で本書が根付かなかったのは、恐らく新潮文庫のラインナップに入らなかったためだ...
原著は1901年から1924年頃までにかけて増補・改訂されたもの。 本書は人文書院の『フロイト著作集』だと第4巻に入っているもので、フロイト存命中は世界中で最も読まれたベストセラーであったらしい。日本で本書が根付かなかったのは、恐らく新潮文庫のラインナップに入らなかったためだろう。もっとも本書の解説を読むと1941(昭和16)年にいちど岩波文庫で出たようだ。本書は同文庫の新訳版である。 言い間違いや度忘れなどの錯誤の裏面には、その人の願望や様々な無意識的機制が働いている、というのが本書の大筋で、かなり大量に実例が列挙されてゆく。実例が多すぎて読んでいて疲れてくる部分もあるが、何しろ学術書なのだから仕方がない。例の不評な「氾-性-論」がほぼ出てこないので、多くの読者には受け入れやすいのではないだろうか。 こんにちでは、フロイトなんて、とさげすみ、完全に捨てて顧みない人も多いようだが、そこまで「完全に」無効だとは私は思っていない。何よりも、現在は常識となった「無意識」領域のロジックを初めて大々的に明るみにし、20世紀の知の進展を支えた点は、歴史上かけがえのない偉大さだ。 それまでは文学にしても哲学にしても意識上の思考などだけが語られていたのに対し、意識という表面にまで浮上しない底の方で、無意識という、常識的には不合理な、非=理性的でもあるシステムが機能しているという発見とそこに注視する思考は、私見では構造主義思想の先駆のようにもなっている。 実は本書の言う「日常生活の精神病理」については、自分が最初に気づいたことではない、とフロイトも明言している。すべての「言い違い」に同じような無意識の機制が働いているのか、というと、そこはフロイトも断言はしない。こういった細かい部分を読んでいくと、学者として慎重な、真摯な姿勢も見られるのである。
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度忘れや言い間違い、勘違いといった誰にとっても身近で日常的な失錯行為が、無意識による記憶の改ざんや妨害によってもたらされるという説を提示する著作。全12章、約470ページ。各章末に原注、巻末に訳注が掲載される。11章に渡って、各種の「度忘れ」「遮蔽想起」「言い違い」「取りそこない...
度忘れや言い間違い、勘違いといった誰にとっても身近で日常的な失錯行為が、無意識による記憶の改ざんや妨害によってもたらされるという説を提示する著作。全12章、約470ページ。各章末に原注、巻末に訳注が掲載される。11章に渡って、各種の「度忘れ」「遮蔽想起」「言い違い」「取りそこない」「勘違い」といった失錯行為を分類し、それぞれを解説する。第12章は本書を総括する終章にあたる。 前述のような数々の失錯行為がもたらされる無意識の主な原因として指摘されるのは、「抑圧」である。私たちは基本的に忘れたかった、または思い出したくない何かを常に抱えており、そのような抑圧が失錯行為によって隠蔽され、もしくは逆に暴露として働く。各種に分類された数多くの事例を通し、この事実を証明するために本書は費やされている。 このような失錯行為の大きな特徴のひとつとして挙げられるのは、失錯行為を行った当事者にとってこそ自覚が難しい現象だということだ。岡目八目とは逆に、本人だけが自分自身の行為の自明さに気付かず周囲との認識との違いに当惑するような経験は、前述のような失錯行為に限らず誰にとっても覚えがあるだろう。このような状況は、著者の次の言葉によって上手く言い表され、生きていくうえでの心構えとしても十分有用に思える。 「人は誰しも自分のまわりの他人に対して終始、精神分析を行っており、そのため自分のことより他人のことのほうがよく分かっている。「汝自身を知れ」という格言に従う道は、自ら自身が行う一見偶発的に見える行為や不履行を研究するという手順を踏んで進むよりほかないのである」 自分自身の何気ない失錯行為を虚心に捉える態度は、自らを理解するうえで大事な姿勢ではないかと考えさせられる。また、終章において迷信をめぐって論考を重ねる過程で述べられた次の言葉は、著者の思考の特徴の根本を示すものとして、興味深い認識だと感じる。 「私は、外的な(現実面での)偶然は信じるが、内的な(心理的な)偶然性は信じない」 内容面から離れると、本書の構成面でのもっとも大きな特徴としては、とにかく事例が多いことが挙げられる。著者自らの経験も含めて多数の事例を列挙し、章によっては40近い事例が紹介されている場合もある。個々の事例の解説も含めれば、全体的な分析や考察よりも事例にまつわる記述のほうが紙数に占める割合はずっと多いだろう。個人的には途中からは特に、具体的な事例についてはその多くを読み飛ばすか斜め読みする程度に終わった。 ちなみに、本書にあるような失錯行為が必ずしも無意識的な原因ではない単純な失錯行為の場合があること、また失錯行為に無意識的な原因を求める考え方は著者自身が初めてではないことについても何度か言及されている。
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