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100分de名著 安部公房 砂の女(2022年6月) 逃げるか、とどまるか。 NHKテキスト
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | NHK出版 |
発売年月日 | 2022/05/27 |
JAN | 9784142231409 |
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100分de名著 安部公房 砂の女(2022年6月)
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100分de名著 安部公房 砂の女(2022年6月)
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商品レビュー
4.2
13件のお客様レビュー
テレビ番組を視聴しながら、この本を読みました。「砂の女」は高校生の頃に興味深く読み、砂の渦に引き込まれていくイメージは残っていますが、内容はほとんど忘れています。 安部公房さんは、鳥のように飛び立ちたいと願う自由と、閉じこもって誰にも邪魔されたくないと願う自由があり、その2つの...
テレビ番組を視聴しながら、この本を読みました。「砂の女」は高校生の頃に興味深く読み、砂の渦に引き込まれていくイメージは残っていますが、内容はほとんど忘れています。 安部公房さんは、鳥のように飛び立ちたいと願う自由と、閉じこもって誰にも邪魔されたくないと願う自由があり、その2つの自由の関係を追求してみたのがこの作品である、と述べています。 番組では、テルマエ・ロマエのヤマザキマリさんと、司会の伊集院光さんのトークが、絶妙に噛み合っていました。私も同い年のお二人の話に入っていきたいな?と思いつつ、「砂の女」の世界から学びました。
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『砂の女』は、1962年に出された。実に62年前の本である。今読んでも、新しい気づきがある。 安部公房は、帰属する場所を持っていなかった。北海道に原籍がありつつ、東京で生まれ、中国の満州で育った。ヤマザキマリも、越境し地球上を移動しながら、全ての場所でアウェイな状況でいるヤマ...
『砂の女』は、1962年に出された。実に62年前の本である。今読んでも、新しい気づきがある。 安部公房は、帰属する場所を持っていなかった。北海道に原籍がありつつ、東京で生まれ、中国の満州で育った。ヤマザキマリも、越境し地球上を移動しながら、全ての場所でアウェイな状況でいるヤマザキマリと通じるものがある。 安部公房を読むことで、現実を理想や希望でデコレーションすることに疑問を抱き、生きることの不条理や理不尽さを受け入れ、人間の社会を俯瞰できるようになった。 砂の女の男は、教師で、砂地に住む昆虫採集をしようとする。獲物はニワハンミョウで、新種を見つけたら、自分の名前がつけられることになり、死んでもその名前は消えない。自己承認要求が強い男でもある。 安部公房はいう「鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。・・色もない、匂いもない、砂との戦いを通じて、その二つの自由を追求してみたのが、この作品である。砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味もわかるまい。」 壁の外に移動する自由と壁の中に引きこもり定着してえる自由がある。また、それは定着と流動の葛藤でもある。 卵から孵ったカブトムシが、長い幼虫とサナギの期間を終えてやっと羽化を果たし、向かいにある森に向かってベランダから飛んで行った時に、いきなり上からカラスが飛んできて食べられてしまったことがある。なんとも残酷であるが、それが地球の生態のルールというものだとヤマザキマリはいう。昆虫は、淡々と生まれて、淡々と生きている。 田舎はいいよね。と言っている都会人の中には、憧れやリスペクトとは別にどこか侮るような気持ちが混じっている。この村の愛郷精神は、反知性主義と、情緒や感情によって態度を決める頑強なポピュリズムで形成されている。二木順平の知的エリートは目障りな存在でもある。 砂の女は、砂で夫と娘を亡くした。女は砂に守られ、砂を味方につけ、砂と一緒に生きている。砂の女の強かさや生命力。一見に弱く見えるけれども、自我にこだわらない生き方をする女性は、実はとても強いのだ。それを虫というメタファーで書かれている。砂の女は、甘い蜜の香りを装った食肉植物のような、ネバネバした粘液質な性質を執拗に描いている。 安部公房の作品には、優れた人間観察力に由来するユーモアがある。ユーモアというのは、単に笑えるかどうかだけでなく、自分を俯瞰し、みっともなさや哀れさ、愚かしさも余す所なく客観的に認知するという意味もある。 男は教師であるが、「人生によりどころがあるという教育の仕方には、どうも疑問でならないんです。」「なんです。そのよりどころとは?」「つまり、無いものをですね、あるように思わせる。幻想教育ですよ」つまり、「よりどころ」などないのに、それがあるかのように生徒たちに教え、お金を稼ぐための社会のネジになるべく教育していくことに対する教育の根本的疑問を持っている。 二木順平は、不条理な状況から脱出しようと、自由を求めてもがきつづけ、けれども最終的にはそこにとどまり、自発的に「失踪者」となろうとする。自由というものの意味を、距離感を持って捉え直すきっかけとなる。 ヤマザキマリの『砂の女』を通じて見ている安部公房が、現代に登場するかのテーマをかかえていた。
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ヤマザキマリさんの解釈とはいえ、久々に文学に触れた。解釈でも安部公房の筆力についてもヤマザキマリさんからのエネルギーが伝わり、魅力的に紹介されていた。砂の女を読みたいと思う。
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