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親鸞と道元 新潮新書939
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2022/02/17 |
JAN | 9784106109393 |
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親鸞と道元
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商品レビュー
4
4件のお客様レビュー
家が曹洞宗なので、開祖道元のことを知りたくて読みました。はなしが横道それますが、読後永平寺にも行ってみたくなりました。
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序章 生涯と思想 親鸞の生涯/『教行信証』にみる親鸞の思想/如来より賜りたる信心/道元の生涯/身心脱落:仏道修行の出発点/只管打坐/正伝の仏法:正統性の強調 第一章 機と法 「法」の意味/「機」の意味/否定的な人間観/最低最悪の自己と無我/末法観の相違/法を機に近づける/機を法に...
序章 生涯と思想 親鸞の生涯/『教行信証』にみる親鸞の思想/如来より賜りたる信心/道元の生涯/身心脱落:仏道修行の出発点/只管打坐/正伝の仏法:正統性の強調 第一章 機と法 「法」の意味/「機」の意味/否定的な人間観/最低最悪の自己と無我/末法観の相違/法を機に近づける/機を法に近づける 第二章 出家と在家 仏教における出家と在家/「非僧非俗」の意味するところ/出家至上主義/仲間(同朋)とともに/出家者と在家者の高い壁/仏教における戒律の位置づけ/無戒の親鸞/持戒の道元/菩薩としての親鸞と道元 第三章 師匠と弟子 仏教における師資相承(血脈・法脈)/法然と親鸞/如浄と道元/親鸞と唯円/道元と懐奘/「自力の念仏に陥ってはならない」──『歎異抄』より/「善悪は縁にしたがっておこる」──道元の人間観 第四章 救いと悟り 如来蔵(仏性)思想とは何か/本覚思想と仏教の世俗化/此岸と彼岸の距離感/真実の信心とは/救いの先取り/「修行と悟りは一体である」──修証一等/行持:修行の継続性/絶えざる修行 第五章 特殊と普遍 末法観の変遷:道綽から法然へ/親鸞の末法観/真実の教えとしての浄土教/ブッダ出世の本懐とは/存在と時間/而今:永遠の今/而今の山水:時間と空間/特殊から普遍へ/親鸞と道元における普遍化の背景 第六章 改読と転釈 聖典解釈の歴史/親鸞の改読:阿弥陀仏の絶対肯定/親鸞の改読:人間存在の絶対否定/親鸞の転釈/道元の改読/道元の転釈/改読と転釈の根拠:宗教経験の重要性 終章 自力と他力──宗教の本質を問う ブッダの仏教は自力の教えか/宗教とは何か/道元仏教の他力性/吾我の否定と無我/自力と他力 おわりに
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「寺」というモノが多々在る。それらは各宗派の流れを汲んでいるのだが、数在る宗派の寺の中、親鸞を祖とする浄土真宗が最も多く、次いで道元を祖とする曹洞宗が多いのだそうだ。その親鸞が、そして道元が説こうとしたことに着目して「日本の仏教が目指した境地?」を考えてみようとしているのが本書で...
「寺」というモノが多々在る。それらは各宗派の流れを汲んでいるのだが、数在る宗派の寺の中、親鸞を祖とする浄土真宗が最も多く、次いで道元を祖とする曹洞宗が多いのだそうだ。その親鸞が、そして道元が説こうとしたことに着目して「日本の仏教が目指した境地?」を考えてみようとしているのが本書であると思う。 『親鸞と道元』という題名だが、「対照的な両者」を内包する日本の仏教を考えるということで筆者が着想を得て、そして登場したという題であるようだ。 「救い」を求め、「念仏」を専らとし、「布教」に力を注ぐこととなったのが親鸞の浄土真宗だ。 「悟り」を求め、「座禅」を専らとし、「求道」を説き続けることとなったのが道元の曹洞宗だ。 「念仏」と「座禅」とということではは、「他力」で救いをもとめるのか、「自力」で悟りに至ろうとするのかというような、「対極的」な在り方のように思える。「本当に??」というような疑問や、「何故、こういう一見して“対極”なモノがとりあえず“同じ仏教”に内包?」というようなことが本書の出発点だと思った。 或いは「筆者御自身の深い考察の経過」を直接的に反映したような叙述なのかもしれない本書である。進んだ方角が違う仏教の担い手達であったが、実は或る時点で回り逢っているのかもしれない。そんなことが示唆されている。 正直「宗教」とでも聞けば「何やら変??」と思わないでもない。所謂“カルト”の存在が在って、その妙な影響で、そういう程度に考えてしまうような面は在ると思う。が、或る時期に何処かの方が唱えた哲学のような問題意識が何世代にも亘って受継がれ、何世代目かの傑出した誰かが導いた「解答案」が更に後代へ引き継がれるというのが「宗教」というモノの実相なのかもしれない。 「念仏」と「座禅」ということになれば、「他力」と「自力」という「対極?」に視えるのかもしれない。が、これも“仏教”と呼ばれるモノが現れ、色々な人達が各々に考えて「至った解答案」の幾つかの例である訳だ。 なかなかに興味深く、そして愉しく読了した一冊で、広く御薦めしたい。
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