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大衆運動 新訳版
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 紀伊國屋書店 |
発売年月日 | 2022/02/04 |
JAN | 9784314011891 |
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大衆運動 新訳版
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商品レビュー
4.5
3件のお客様レビュー
原著1951年刊。 貧しい出自で独学で本を読み漁り、独自に考察を深めた末に本書を出版すると、大反響をもたらしたそうだ。本書の内容は社会学的なカテゴリーのものだが、学術的に根拠を示されることは無く、社会学と呼ぶのはためらわれる。著者ホッファーはモンテーニュを愛読したらしいから、...
原著1951年刊。 貧しい出自で独学で本を読み漁り、独自に考察を深めた末に本書を出版すると、大反響をもたらしたそうだ。本書の内容は社会学的なカテゴリーのものだが、学術的に根拠を示されることは無く、社会学と呼ぶのはためらわれる。著者ホッファーはモンテーニュを愛読したらしいから、その種の「エッセイ」と呼ぶのがふさわしいかもしれない。 さて、統計データ等に拠らず独断的に次々と「人間の心は・・・こういうものだ」と言い切っていく論述のスタイルだが、本書では不思議なくらいにそれが妥当で、真実をついているような気持ちに導かれる。じっさい、民族主義やナチズムのような「大衆運動」の心理を実によく抉っており、やはり鋭いと言わなければならない。が、なにしろ根拠が無い言説なので、すべてをそのまま受け入れることのないよう気をつけた方が良いかもしれない。ル・ボンの社会心理学につながっているような面もあり、それは恐らく内省的手法で考察を深めた部分だろう。 それにしても、とてもよく納得させられるアフォリズムが多い。 「自らが卓越した人物であると主張する根拠がないと考えれば考えるほど、人は自分の国や宗教や人種や聖なる大義が卓越したものであると主張するようになる。」(P.31) これなんかは、最近の日本にもよくいる自称愛国主義者、日本スゴイの人びとを適切に描出していて見事である。 もろもろの大衆運動にはたくさんの弊害もあるが、社会を前進させるものとして大きな力を持つ、とホッファーは両義的に捉えているようだ。ヒトラーの統治方法なども良く分析されていて、もしかしたら政治家は本書をうまく悪用できるかもしれない。 最近の日本も安倍晋三を神と崇める?連中と、反-安倍政治で声を上げる連中(自分も含む)と、双方の「集団」の心理的動きについても、本書を読んでから振り返ると客観的に分析できそうな気がしてくる。
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宗教改革、アメリカ独立革命、フランス革命、ロシア革命、そして多くの民主主義的な運動、これら大衆運動を、学外の視点から観測した本。 最初にモンテーニュの言葉が引用されている。「私はすべてをおしゃべりとして語っているのであって、意見としては何一つ語らない。もしも皆から信じてもらえるの...
宗教改革、アメリカ独立革命、フランス革命、ロシア革命、そして多くの民主主義的な運動、これら大衆運動を、学外の視点から観測した本。 最初にモンテーニュの言葉が引用されている。「私はすべてをおしゃべりとして語っているのであって、意見としては何一つ語らない。もしも皆から信じてもらえるのだったら、こんなに大胆には語らないであろう。」 彼は大衆運動の原因を、「欲求不満」にあるという。ここでいう欲求不満とは、私たちが日常で使う用法とは異なる、抽象度の高い言葉だ。そのある種の概念を、本全体を通じて描いている。
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「大衆運動」を考察する原書1951年発刊、著者第一作の新訳版。全4部、18章、さらに125節に分かれる。本文は約270ページ。 序文とつづく第1部で「大衆運動」の基本的な定義や特徴を示す。本書で著者が主に扱うのは「大衆運動のうちで、運動を興隆させる初期の活動的な段階」であり、か...
「大衆運動」を考察する原書1951年発刊、著者第一作の新訳版。全4部、18章、さらに125節に分かれる。本文は約270ページ。 序文とつづく第1部で「大衆運動」の基本的な定義や特徴を示す。本書で著者が主に扱うのは「大衆運動のうちで、運動を興隆させる初期の活動的な段階」であり、かつ、「大衆運動には多くの共通した特徴がある」と想定しており、対象とする大衆運動が有益か無益かは一切意味しない。 序盤から本書を通して何度となく強調し繰り返されるのは、大衆運動のとくに興隆期を担うのが「欲求不満を持つ人々」であるということだ。そのような人々は自らに価値を見出すことができないうえ、そのことを認められず、現実を否定するために大衆運動へと身を任せる。そのため本心では運動の内容には関心がなく、思想的には両極端な転向も容易に起こりえる。そのような大衆運動の組織に特有の、統一、自己犠牲、模倣、憎悪、情熱、熱狂といった諸要素に対し、一貫して著者は創造性や自己の欠如したものとして冷徹な分析を重ねる。大衆運動の具体例として特に多く俎上に上がるのはナチス(ヒトラー)とキリスト教である。 第二部では、「運動に参加する可能性のある人々」を分類したうえで7つの対象カテゴリを紹介していく。なかでも「貧困者」に割く紙数が圧倒的に多い。 第三部は、大衆運動において「統一行動と自己犠牲」がどのようにして可能になるかを詳らかにする。 第四部は大衆運動で主導的な役割を果たす立場でを「言論人」「狂信者たち」「実務的な活動家」の3つにカテゴライズしたうえで、それぞれを大衆運動の「黎明期」「興隆期」「安定期」に対応させる。終章では、「良い大衆運動」と「悪い大衆運動」を分かつものが何かを探ったうえで本書の幕を閉じる。 前述にもあるように、著者による大衆運動への評価は非常に辛辣なものである。ただ、厳しい言及で一貫していながらも「大衆運動批判」前提ではなく、あくまで現象にたいして冷静な分析を重ねただけで、個人的な負の感情によるものとは思えない。大衆運動という現象への考察を通して見えてくるのは著者による人間観であり、大衆運動そのものに興味がなくとも、人間への理解を深める著作として興味深く読むことができるだろう。そしてやはり、そのような人間観を表したアフォリズムこそが本書における魅力だと思える。以下に一部を紹介する。 「大衆運動がその支持者を獲得するのは、自己の利益を改善しようとする欲望を満たすことができるからではなく、自己を放棄することを望む情熱を満たすことができるからである」 「自らが卓越した人物であると主張する根拠がないと考えれば考えるほど、人は自分の国や宗教や人種や聖なる大義が卓越したものであると主張するようになる」 「人々が退屈しているとすれば、それはまず何よりも自分自身に退屈しているのである」 「わたしたちは自分ではまったく理解していないものについてだけ、絶対的な確信を持つことができるのである。教義というものは理解されてしまうと、その力を失ってしまう」 「世界に対して冷徹な態度をとることができるのは、自分自身と良好な関係を結んでいる個人だけである」 「狂信的な共産主義者がファシストや排外主義者やカトリックに転向するのはたやすいことであり、穏健な自由主義者になることのほうが難しいのである」 「何かに所属したいという欲望は、かなりのところまで自己を喪失したいという欲望なのである」 「大衆が望んでいるのは良心の自由ではなく、盲目的で権威主義的な信仰である」 余談だが、大衆運動の初期の支持者への考察には、エーリヒ・フロムの『自由からの逃走』を連想した。
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