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J・M・クッツェーと真実
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 白水社 |
発売年月日 | 2021/10/19 |
JAN | 9784560098684 |
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J・M・クッツェーと真実
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この10年ばかり、オースターやクッツェーを読んできた。文庫サイズがメインだったので、とりあえずは、読み尽くしてしまったのだが。冊数では、クッツェーを2冊、オースターを18冊となる。しかし、考えてみると読み始めとしてはクッツェーのほうが早かった。また、最近、オースターとクッツェーの...
この10年ばかり、オースターやクッツェーを読んできた。文庫サイズがメインだったので、とりあえずは、読み尽くしてしまったのだが。冊数では、クッツェーを2冊、オースターを18冊となる。しかし、考えてみると読み始めとしてはクッツェーのほうが早かった。また、最近、オースターとクッツェーの往復書簡集の『ヒア・アンド・ナウ』を読み始めている。2018年に購入したものの、最近読み始めたところだが、なかなか読みすすめることができないでいる。ところが、この年の2月に本書を購入したクッツェーの翻訳者であるくぼたのぞみ氏による「クッツェー論」の本書には、はまってしまった。その理由はいくつかあるが、様々な意味での偶然の重なりに驚きもしている。 まずは、個人的な事情からはじめよう。わたしが妹と呼ぶオーストラリア人がいる。彼女の家族で最初に出会ったのはその両親だったが、すでに亡くなってしまって、私と年齢の近い彼女を始め兄弟が残されている。とりあえずは、彼女のことはイニシャルGJにしておこう。GJは、小説家である。オーストラリアでの文学賞もとったことがある。何冊かGJからもらったし、自分でも購入したことがあるのだが、英語のこともあり、なさけないことに完読できた試しがない。ところが、本書を読みすすめるうち、クッツェーとGJのつながりを発見し、GJの本を改めて読む理由も見つけることができた。 クッツェーは南アフリカ生まれだが、現在は市民権をとってオーストラリアのアデレードに住んでいる。彼の現住地を知ったときに、GJと何らかのつながりがあるといいなとおもった。また、数年前、多和田葉子の「エクソフォニー」の話をGJとした時、わたしはクッツェーの名前を出し、そのときGJはよく知っていると言っていた。エクソフォニーというのは、ざっくりというと母語以外で創作活動することにより、その表現に新たな展開が見られるということだ。 本書で知ったつながりというのは「南の文学」とでも言うべきクッツェーのプロジェクトにGJが関わっていたことだ(プロジェクトが気になってネットで調べたら判明した)。これも、当然といえば当然で、本書を読むまでもなくそれ以前のGJとの会話やクッツェーの作品から連想をつなげるべきものであった。クッツェーのプロジェクト、「他の世界:世界文学の形成」(Other Worlds: Forms of World Literature)がそれだ。文学の伝統は北半球から発したものであるが、南アフリカやオーストラリアをはじめとする南半球の植民地から出発した国々の文学をふくめて構想しなけれ世界文学とはならない。そのために、アルゼンチンのブエノスアイレスの国立サンマルチン大学において、2015年から2018年にかけて「クッツェーの大聖堂:南の文学」( Cátedra Coetzee: Literaturas del Sur)という連続講座が開かれることになった。この主要メンバーとしてGJも関わっていたのだ。この事もあって「南の文学」について関心が広まっただけでなく、私自身、オーストラリア先住民研究を長年重ねていて、そちらとのつながりがあることもわかってきた。 くわえて、本書の著者の「あとがき」をみるとなぜクッツェーなのかについての著者の関わりが書かれていることも興味深い。著者は北海道開拓植民者の第3世代であって、クッツェー同様に植民者として先住民の大地で生をうけ植民者の言語を用いて創作表現活動をおこなってきた。すなわち、著者の場合は日本語、クッツェーの場合は南アフリカの二重の植民事情とかかわり、最初期のオランダ人植民者の子孫でありながらも、オランダ語から派生したアフリカーンス語の中の家庭で生まれたにもかかわらず、第二の植民者であるイギリス人の言語である英語を母語のようにしてそだてられたことを指している。また、著者はみずからのことを「ナカグロ」とよぶのだが、すなわち、詩人「・」翻訳者だと、そして、クッツェーは先住民のバンツー・コイサン諸語の中のアフリカーンス語の中の英語をつかうという、境遇と言語をめぐる状況が重なり合っているのだ。 本書は植民地の支配者、被支配者という構図の中で文学的表現はいかにあるのか、「南の文学」が世界文学となるためには、何が重要な立ち位置であるのか、クッツェーや著者自身を素材として語っていて、これは重要な視点といわねばならないだろう。
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現代の世界最重要作家の一人、ジョン・マクスウェル・クッツェーとその作品をめぐるエッセイ集。著者はクッツェー作品を数多く翻訳してきたくぼたのぞみ。 アカデミックな人間ではないという著者独自の読み解きによるクッツェー論であり、クッツェー中毒というほどのクッツェー好きが炸裂した本である...
現代の世界最重要作家の一人、ジョン・マクスウェル・クッツェーとその作品をめぐるエッセイ集。著者はクッツェー作品を数多く翻訳してきたくぼたのぞみ。 アカデミックな人間ではないという著者独自の読み解きによるクッツェー論であり、クッツェー中毒というほどのクッツェー好きが炸裂した本である。 なにかの賞をとった本というのでたまたま手にした私には、クッツェーの人物像、思想が非常に興味深かった。実はクッツェーの作品は読んだことがない。 南アフリカに生まれ育った白人男性であるクッツェーは自分がアパルトヘイトの恩恵を最上に受ける立場であると気づき、検証しなくてはと思ったという。 私は南アフリカおよび周辺国における白人、植民者の子孫であって本国から独立し敵対もし、自らをアフリカーナと呼んだ人たち……のメンタルに興味があり、本書によってかなり知ることができたと思う。 このへんに興味が湧いたのは映画「ブラッド・ダイヤモンド」でディカプリオが演じた主人公がその類だったからだ。本国からみれば寄る辺ないプアーホワイト。オランダ系の子孫はかなり恵まれない印象がある。 自分自身が作品そのものであり注意深く読めよと言わんばかりのクッツェーの態度には辟易するが、クッツェー作品を読んでみたくなった。
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