1,800円以上の注文で送料無料

最後の読書 新潮文庫
  • 中古
  • 書籍
  • 文庫
  • 1224-36-00

最後の読書 新潮文庫

津野海太郎(著者)

追加する に追加する

最後の読書 新潮文庫

定価 ¥693

220 定価より473円(68%)おトク

獲得ポイント2P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2021/09/01
JAN 9784101202822

最後の読書

¥220

商品レビュー

4.2

7件のお客様レビュー

レビューを投稿

2024/07/24

本にまつわる 素敵なエッセイはいい 本を読む楽しみが しみじみと伝わってくる ましてや  あの「本読み」の 津野海太郎さん 登場する 作家、書籍、エトセトラが ひとつひとつ 興味深い 一回目は初めから 再読は 気になって付箋をつけたところから 本を読む楽しみが満載です

Posted by ブクログ

2023/06/04

専門学校時代、遂に視力が0.1を切った。極度の近眼だった。 それに老眼が加わったのは40代の半ばを過ぎた頃。 毎年のコンタクトレンズ処方の為に訪れた眼科で、白内障の 検査を勧められた。しかし、忙しさに紛れて放置していたら、 コンタクトレンズを装着しても、眼鏡をかけてもモノが 見...

専門学校時代、遂に視力が0.1を切った。極度の近眼だった。 それに老眼が加わったのは40代の半ばを過ぎた頃。 毎年のコンタクトレンズ処方の為に訪れた眼科で、白内障の 検査を勧められた。しかし、忙しさに紛れて放置していたら、 コンタクトレンズを装着しても、眼鏡をかけてもモノが 見えにくくなって来た。 「老眼が進んだんだな」なんて自分に言い聞かせていたが、 実は白内障が悪化していた。遂に両眼の手術をしたのだが、 手術に至るまでの1年間、ほとんど本が読めなかった。 まぁ、術後もそれほど本を読む時間が取れていないのだが…。 本書のテーマである「老いと読書」とは少々違うが、私を含め 「趣味は読書」と言う人たちにとって、年齢と共にいろんな ところにあらわれて来る「衰え」は結構深刻な問題だと思うの。 実際、「いつか読もう」と思って購入していた昭和年代発行の 文庫や新書なんて、字が小さくて読みにくいのよ。つか、本を 開いただけで文字の小ささにクラクラして、そっと閉じちゃうの。 あぁ…挫折の連続だわ。 文字の問題だけではない。集中力や理解力は確実に低下して おり、何度も何度もページを遡って「ああ、こういうことから 繋がるのね、この部分は」と読み直す回数が増えて来た。 80歳になる著者が綴った本書は、自身の「老いと読書」に ついてのエッセイであると同時に、関連書籍のレビューでも ある。 幸田露伴や鶴見俊介、紀田順一郎たちがどのように「老い」と 付き合って来たか。 私は娘である幸田文さんが記した晩年の露伴の様子に胸が 痛くなったよ。 あれも読みたい、これも読みたいと購入して積んだままの 本が我が家にはかなりある。いつか、これらの本をすべて 読了する日は来るんだろうか。 そして、私が最後に手に取る本はどんな本なのかな。願わくば 上質のノンフィクションがいいな。でも、こんなことを書いて いると、読了後に投げつけたくなるようなクソな作品だったり して。 本書は「老い」を実感している世代は勿論だが、若い世代の 読書家にこそ読んで欲しいわ。 いつか、あなたにも思うように本が読めない時が来ます。 ようこそ「老いと読書」の世界へ。ふふふ~~ん♪

Posted by ブクログ

2023/01/03

 今年最初の読書のタイトルが『最後の読書』というのは、もちろん狙ったところもある。ただ、それ以上に感じるところもあってさ。編集者、演劇人とのことだけど、齢80になろうとする時期に、読書周辺での年齢からくる苦労など、あれこれというのがね。なんとなく最近年取ってきたなぁという自分の親...

 今年最初の読書のタイトルが『最後の読書』というのは、もちろん狙ったところもある。ただ、それ以上に感じるところもあってさ。編集者、演劇人とのことだけど、齢80になろうとする時期に、読書周辺での年齢からくる苦労など、あれこれというのがね。なんとなく最近年取ってきたなぁという自分の親を観る視点と重なったところがあるんだろうね。  冒頭、鶴見俊輔が脳梗塞となって以降、話すことも書くこともできなくなり、亡くなるまでの3年ちょっとの期間、ただひたすら本を読んでいたという話。幸田露伴の晩年、目が悪くなっていき、読むのに忙しいから、もう書く時間がない、と言っていた話など。読書人の晩年というのは、なんのためというのではなく読むこと自体に喜びを見出していくのかなぁ、なんて思った。  読書好きな人に限らないかもしれない。ただテレビを観たり、庭を眺めるだけでもいいのかもしれない。自分の外にあるものを、ただ受け取り、そこに溶け込んでいってしまうような。歳をとり、最終的にあの世に旅立つというのは、自分自身がこの世に溶け込んでいくということなんじゃないか、なんてことを考えてしまったね。  著者は古典をダイレクトに読めない自分の世代を、ダイレクトに読めていた先行世代と比較して苦笑している感があるけど、その視点に立つなら、俺なんてものはもう知的能力に欠けるなんてものじゃないよなぁ、と苦笑するところもあった。別に悲観や卑下して思うのではなく、まだまだ伸びしろ、あるよね、って。

Posted by ブクログ