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渋沢栄一伝 道理に欠けず、正義に外れず
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渋沢栄一伝 道理に欠けず、正義に外れず

井上潤(著者)

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渋沢栄一伝 道理に欠けず、正義に外れず

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ミネルヴァ書房
発売年月日 2020/11/02
JAN 9784623089994

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商品レビュー

3.7

4件のお客様レビュー

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2021/08/13

まだ大河ドラマになることも決まってなかった頃と記憶している。谷中霊園に行ったとき、ボランティアの人に、ここが渋沢栄一の墓です、と教わった。他の墓地より敷地が広いのは、まあ金持ちだったから当たり前かと思ったが、でもなぜか土がむき出し、家を建てる前に敷地をならしているような感じがした...

まだ大河ドラマになることも決まってなかった頃と記憶している。谷中霊園に行ったとき、ボランティアの人に、ここが渋沢栄一の墓です、と教わった。他の墓地より敷地が広いのは、まあ金持ちだったから当たり前かと思ったが、でもなぜか土がむき出し、家を建てる前に敷地をならしているような感じがした。お札になることが決まったため整備してるのかと思ったけど、ボランティアの人によると、それより前に都だか、国だかの人が来て、整備していったらしい。まあ、一般に告知する前に、お上のほうではいろいろ準備するんでしょう。  近くには最後の将軍・徳川慶喜の墓がある。なぜか神道形式。側室と共に眠っている。さすが二枚舌で大阪城を抜け出して、全ての責任を会桑に押しつけて生きながらえた男の墓だ。ひと言で言えば「らしい」  それはどうでもいいことだけど、この本を読んで知ったが、渋沢栄一は一橋家、つまりは慶喜に仕えていた経緯があったようで、あぁ、だからこんなに墓が近くにあるんだ、と納得いった。    そんなこともあって、渋沢栄一は1867年のパリ万博に参加する幕府の使節団として渡仏する。この旅程で見聞した様々な知識が、明治の世で開花する礎となったようだ。もともと地域でも指折りの富裕農の家に育ち、商売の基礎を幼い頃から学んでいたため、西洋で見聞きする事柄も、商売人の目、経済の目から見る素養があった。  この本、この辺までは面白かった。だいたい全体の半分くらいまで。人間・渋沢栄一の器の大きさの淵源がよくわかった。    後半が良くない。  渋沢栄一と交友のあった有名人を数々ご紹介いただいているが、人物事典の記述を読んでいるようで、読んでいても面白くない。この人物は何年に何処で生まれ、何とかを営む誰々の、何番目として生まれた、というテンプレートでもあるの?という記述が多い。いやぁ、正直言ってその情報、要らないんですけど、と思ってしまった。     あと、とても気になったのが、相談に乗ってあげたとか、誰々と引き合わせたとか、事業がうまくいくように尽力したとか、それ渋沢栄一の実績?という記述が多い。  著者からしたら、知っている事実をいちいち説明することには気が乗らないのかもしれないが、よく知らない自分みたいな読者からしたら説得力がない。    という意味で、いろいろな実績のなかから、取り分け深く関わった事業をいくつか集中的に取り上げたほうが、良い本になったと思う。  

Posted by ブクログ

2021/05/17

もともと広報誌的なものに書かれていた文章の寄せ集めのためか、非常に柔らかい文体で受け入れやすかった。

Posted by ブクログ

2021/03/10

日本商工会議所の「会議所ニュース」に連載のものなので、回ごとのテーマで短く読みやすい。著者は渋沢記念館館長 西ケ原一里塚を保存 飛鳥山の自邸のそばにあった http://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bun...

日本商工会議所の「会議所ニュース」に連載のものなので、回ごとのテーマで短く読みやすい。著者は渋沢記念館館長 西ケ原一里塚を保存 飛鳥山の自邸のそばにあった http://www.city.kita.tokyo.jp/hakubutsukan/rekishi/fureru/bunkazai/nishigahara/ichirizuka/index.html 二度もノーベル賞候補に 大正15年(1926)ハワイ大教授原田助はじめ日本政府関係者、スタンフォード大、ハワイ大総長からも推薦をもらうい平和賞候補になるも、33人も候補者があり受賞ならず。翌年も推薦し候補になるがならず。 記録資料の整備重要性を認識していた。 「徳川慶喜公伝」編纂は、特に恩義を感じた人物というだけでなく、慶喜が恭順の意を表して大政奉還に至った史実を後世に受け継ぎたいと言う思い。慶喜の生前には絶対刊行しないという約束。 2020.11.1初版第1刷 図書館 p133誤植 茨木県高萩市になってるよ~~

Posted by ブクログ