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手長姫 英霊の声 1938-1966 新潮文庫
定価 ¥649
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2020/10/28 |
JAN | 9784101050393 |
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手長姫 英霊の声
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商品レビュー
4.2
8件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
『家族合わせ』 襖一枚隔てて娼家の家族がまるでこちらの部屋が存在しないかのように一家団欒を楽しむ様子から神聖なものを感じていた主人公が、子供が歌い出したときに母が「シーッ」と言ったとたんにその生活はあくまでこちらの部屋に仕えるもので下卑たものだと考えを急変させるくだりが、三島の感受性の異様な鋭敏さを示していて面白く思った。 『日食』 三島の短編としては極めて短い作品。戦争で失明した男と結婚した女が主人公。世話好きというのは独占欲と表裏一体の関係にあるという話。短いながらも(短いからこそというべきか)三島のウィットが感じられる小品。 『手長姫』 無意識に人のものを盗ってしまう病気を題材にしている。無意識に、という点に魅力がある。夫にそのことを褒められてから意識的に万引きをするようになり、それを境に魅力が失われていくという話。「彼女の手は彼女の意思に無関係に動くのであった。ちらっと、舌のように。……するといつのまにかその手は罪を犯している。」 『S・O・S』 この作品に出てくる男女は皆、意志薄弱で、目前の状況に応じてやむなく行動しているという印象。行動というより反応というほうが適当かもしれない。それを漂流という言葉で表したのではないだろうか。考えてみれば、われわれ大部分の人間の生活というのもこれと大差ないのではないか。逆に意思のある人間は強い。そんな人間はほとんどいないから。 『魔法瓶』 懐紙の描写が秀逸。女性を描くのに、その外見や性格を叙述するのでなく、その所持品から描こうとする試み。体温まで伝わってくるような肉感が魅力的だと思った。タイトルの魔法瓶もそうだが物に焦点を合わせながら、それを取り巻く人間の生態を炙り出す。 『切符』 幽霊の話。自殺したと思っていた妻が生きていて、その原因を作った情夫と思っていた男が死んでいたという二重の仕掛けになっている。三島の小説としては思想的な要素は少なく、脳内に浮かび上がるイメージを楽しむ作品。鮨屋の二階の和室やお化け屋敷の描写が面白い。百万円煎餅という作品でも百貨店内のアトラクションが出てきたが、三島はそういう見世物の類が好きなのかもしれない。 『英霊の声』 国体、そして天皇についての三島の思想が情熱的に語られる。誤解の恐れがまったくないと言っていいほど、直接的に。これだけは絶対に正確に読者に伝えたいという三島の強い意思を感じた。複雑な心理や論理を駆使する三島が、このように簡明で力強い思想を抱いていたとは。
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13歳から41歳まで、三島の新潮文庫未収録短編9作。アウトテイク集みたいなものだと思っていたが、三島を理解する上で思っていた以上に重要な作品もあった。スルーしなくて良かった‥‥
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「英霊の声」に圧倒された一冊だったので、その他に関する感想も一気に上塗りされてしまったといえる。 「家族合せ」 「水音」を思いだした、いつもの兄妹の一篇 「切符」 最後にびっくりする、幽霊譚 「英霊の声」 夢幻能でもあり、霊的交流でもあり、神事でもある…そんな色々が混ざり合った舞台での、三島の痛切な叫びが純と書かれている一作だった。 英霊たちの声という形も、誰も反論できないというか、彼らがどう思っていたかは置いておいても、この方法は完璧だよなあ。そしてそれを心から信じていたのであろう三島にとっては、まさしく誠であったのであろう。 …だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、人間としての義務において、神であらせられるべきだった。この二度だけは、陛下は人間であらせられるその深度のきわみにおいて、正に、神であらせられるべきだった。それを二度とも陛下は逸したもうた。もっとも神であらせられるべき時に、人間にましましたのだ。 一度は兄神たちの蹶起の時。一度はわれらの死のあと、国の敗れたあとの時である。歴史に『もし』は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましましたら、あのやうな虚しい悲劇は防がれ、このやうな虚しい幸福は防がれたであらう。 この二度のとき、この二度のとき、陛下は人間であらせられることにより、一度は軍の魂を失はせ玉ひ、二度目は国の魂を失はせ玉うた… …などてすめろぎは人間となりたまひし… …死んでいたことだけが、私どもをおどろかせたのではない。その死顔が、川崎君ではない、何者とも知れぬと云おうか、何者かのあいまいな顔に変容しているのを見て、慄然としたのである。 この、などてすめろぎはひととなりたまひし?という心からの疑問に、答えなくてはならないし、答えるべきであると三島は思ったのだろう。それをこの熱量で同じく共有する人は、彼の時代にもおらず、ますますいなくなっている。彼と同じ結論になれとは言わないだろうが、少なくとも向き合うことが、三島への、そして死んでいった彼らへの、後世を生きる私達の責任ではあるだろう
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