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イエズス会がみた「日本国王」 天皇・将軍・信長・秀吉 歴史文化ライブラリー508
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 吉川弘文館 |
発売年月日 | 2020/09/17 |
JAN | 9784642059084 |
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イエズス会がみた「日本国王」
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イエズス会史料に見える日本の「国王」記述から、その権力者観の変遷をたどることで中近世移行期における日本の権力構造に迫ろうとする内容。海外を視野に入れた比較王権論へと繋ぐ試みは興味深いものがあった。
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日本にキリスト教を伝えたのはフランシスコ・ザビエルだが、ザビエルが所属していたのがイエズス会である。 イエズス会は大航海時代、ポルトガルの庇護を受けて、インドや東南アジア、日本、中国へと布教を試みていった。 彼らは、まず、布教地の権力者を改宗させるか、または権力者の保護を求め、領...
日本にキリスト教を伝えたのはフランシスコ・ザビエルだが、ザビエルが所属していたのがイエズス会である。 イエズス会は大航海時代、ポルトガルの庇護を受けて、インドや東南アジア、日本、中国へと布教を試みていった。 彼らは、まず、布教地の権力者を改宗させるか、または権力者の保護を求め、領内で効率的に布教を行うという方針を取っていた。その地の権力者に関する情報は、彼らにとって極めて重要なものだったと言える。 そしてまた、その地にいれば当たり前すぎて特に気に留められないような事柄であっても、外国人である彼らには目新しく、記録の価値がある場合もある。 現地で布教にあたる宣教師たちは、活動内容や布教地情報を同僚や教皇、欧州の権力者たちに書き送った。こうした書翰や報告書を史料として読み解き、彼らの目を通して、戦国時代から徳川初期の日本のすがたを探るのが本書の狙いである。 近年、イエズス会書翰の翻訳が進展してきており、本書で主に史料として用いられているのもこうした書翰である。 権力者を指す語句は複数あり、「国王」(レイ)、「王」(ウォー)、「領主」(セニョール)、「太守」(ドゥケ)などである。このうち、最高権力者を指す可能性があるのは、「国王」、「王」だが、果たして、彼らは「誰」を「国王」や「王」と見なしていたのか。 最初に布教にあたったザビエルは、天皇と将軍を「最高の国王」と見なし、戦国大名を「領主」や「太守」としていた。京都で天皇や将軍に布教を試みたザビエルだが、京都はあまりにも荒廃し、天皇も将軍も「最高の国王」といえる存在ではなかった。ザビエルは間もなく、京を去る。ザビエルの後を継ぎ、布教の責任者となった宣教師たちが、以後、書翰で「国王」と呼ぶのは地方の戦国大名たちである。 畿内の布教はうまくはいかなかった。天皇・将軍の権力が弱かったこともあるが、戦乱の世でもあり、また仏僧の力が強かったのも理由である。朝廷から伴天連追放の文書も出ている。キリスト教を保護しようとする大名もいたものの、本格的に京都入りができるのは信長が上洛を果たした後のことだった。 その信長は、「天下」を平定した「君主」と見なされたが、「日本国王」とは呼ばれなかった。日本全国を統一支配する前に、本能寺で倒れたためである。 秀吉に至って、ようやく「日本国王」と呼ばれるが、しかし武家のトップとなった秀吉は「天下の君主」という呼ばれ方もされ続けた。一方で、天皇は終始、「日本国王」と呼ばれる存在だった。 イエズス会としては、日本は武家と公家が併存して「王権」を構成していたと見ていたと考えられ、なかなか興味深い。 イエズス会が布教にあたった期間は動乱の時代で、どこに食い込んで布教のきっかけとするのか、宣教師たちにも考えどころであったことだろう。 朝廷がありつつ武家もある、当時の日本の権力構造があぶりだされるようでもあり、門外漢だがおもしろく拝読した。
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