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北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像 中公新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2020/07/21 |
JAN | 9784121026019 |
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北朝の天皇
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4.2
14件のお客様レビュー
タイトル
そこら辺のつまらない本読んで歴史学ぶより、まともな本を読みましょう
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南北朝の合一で後亀山天皇は上皇となり、京で暮らすことになった。足利義満は後亀山院に自分が注いだ酒を飲ませることで、自分が格上と印象付けた。この種の醜い宴会文化は現代日本にも残っている。 後亀山院は両統迭立が反故にされたことに反発した。 「持明院統と室町幕府は、三種の神器と皇位を...
南北朝の合一で後亀山天皇は上皇となり、京で暮らすことになった。足利義満は後亀山院に自分が注いだ酒を飲ませることで、自分が格上と印象付けた。この種の醜い宴会文化は現代日本にも残っている。 後亀山院は両統迭立が反故にされたことに反発した。 「持明院統と室町幕府は、三種の神器と皇位を掠め取った。その罪は万死に値する」 後亀山院は京を出奔して再び大和国の吉野に潜伏する。南朝の遺臣達が集まり、後南朝の活動が続いた。後亀山院には義満のアルハラへの反発もあっただろう。 室町時代は将軍家と朝廷の宴会が多かった。応仁の乱の最中も宴会三昧であった。室町幕府は将軍の権威を高めるために朝廷の権威を利用した。朝廷も幕府が必要であった。このために将軍と朝廷は近しい関係であると演出する必要があった。実際に仲が良くなくても、本音は嫌でも付き合わなければならかなった。現代日本の飲みニケーションと重なる。 これに対して室町幕府第九代将軍の足利義尚は朝廷関係者との酒宴や公的な儀礼を嫌った。遅刻、早退、欠席が多い(石原比伊呂『北朝の天皇 「室町幕府に翻弄された皇統」の実像』中公新書、2020年、216頁)。蚊に刺されてかぶれたという欠席理由がある。仮病によるサボりも多かっただろう。酒が飲めない訳ではない。むしろ義尚は大酒飲みであり、それが死因になった。 趣味の和歌では公家とやり取りしており、興味のある分野では積極的にコミュニケーションをしている。義尚が嫌ったものは儀礼的な付き合いである。儀礼的な付き合いを無駄と考える現代人的な合理主義精神を持っていた。 これには歴史的な必然性がある。応仁の乱後は守護在京制が崩壊し、将軍と朝廷の儀礼的昵懇関係を守護大名達に見せつける必要性が低下した(『北朝の天皇』225頁)。義尚が儀礼的な宴会を嫌ったことは歴史の流れに沿っている。 これは現代の忘年会スルーにも重なる。昭和には飲み会は仕事という感覚があった。 「今も昔も日本社会における酒宴は、ただの遊興ではない。社交の場であり、“政治”の場でもある(ゆえに特に若手にとって忘年会などはストレスを感じる場となるのだが、それでも参加しておいた方が何かと合理的なのである)」(『北朝の天皇』210頁)。 しかし、人間関係だけで仕事するような無能公務員は別として、アウトプットで評価するならば宴会参加の意味はなくなっていく。宴会参加強要はアルハラでしかなくなる。
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鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代。南朝を率いるのは後醍醐という個性の強い天皇。天皇親政を再び取り戻すという理想に邁進する。京都は奪われたが、北朝内部で対立があれば、その一方を南朝側に引き込んでは、カムバックを目指す。何度敗けても、そのたびに起き上がる様は日本人好みだ。 しかし、高い理...
鎌倉幕府滅亡後の南北朝時代。南朝を率いるのは後醍醐という個性の強い天皇。天皇親政を再び取り戻すという理想に邁進する。京都は奪われたが、北朝内部で対立があれば、その一方を南朝側に引き込んでは、カムバックを目指す。何度敗けても、そのたびに起き上がる様は日本人好みだ。 しかし、高い理想と人気だけでは現実の波を渡ることはできず、南朝は滅亡する。 結局、生き残ったのは北朝。地味で存在感が薄く、足利将軍の傀儡のような存在だった。が、北朝は徹底的に将軍の「ヒモ」に徹する。社会正義や治安、政治、ときには皇位継承の順番決めまでも将軍に押し付け、儀式に必要なカネを出させる。駄々をこねる子供にしょうがないから駄菓子を買ってやる親子のような関係だ。 代々の北朝天皇はこうして時の将軍にすり寄り、理想やプライドを捨て、家を絶やさないことだけに注力した。彼らは本能的に「君臨すれども統治せず」という未来のヨーロッパの言葉を知っていたのだろう。 こうしてみると、弱者であることを最大の強みにした北朝天皇は実に人間臭い。
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