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激動の高等教育(上)
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ジアース教育新社 |
発売年月日 | 2020/04/28 |
JAN | 9784863715455 |
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激動の高等教育(上)
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「文部科学教育通信」(月2回発行)に連載を続けてきた論稿のうち、2015年から4年間の論稿を編集したもの。 昨今の大学改革は、マクロのみならず、ミクロに渡って文科省(官邸)がコントロールする。文科省が出す政策に対しても、末端の各大学は学長を通して通知を受け、それに黙従せざるを得ない現状。つまり文科省に一方的に牛耳られた中での「リーダーシップ」だ。一方、文科省は自らの政策に対してPDCAを行っているという話は寡聞にして聞かない。間違った政策でも修正したり中止したりすることもない。「無謬性の原則」というべきものか。 このような大学改革の状況になった責任は、大学側にもある。2000年代から顕著になった「大学の自主性の劣化」だ。しかしその原因は、新自由主義的政策・人口動態の変化・公的資金の不足・新たな形態の教育方法の出現、文科省と直結した(囚われた)ガバナンス改革など、複雑に絡み合っているから一筋縄には解決しない。 著者は、「実務に役立つ教育を大学に行わせるためには単純なことではあるが、学生が得た学位を産業界が大いに評価すればよい」とする(p.94)。その通りだが、実現は「単純」なことではない。大学は社会のシステムとして存在している以上、社会と一体とならなければ改革は実効的でないのだが。つまり問題は、社会の全体像を俯瞰することなく、大学だけを取り出して操作しようとしていることにある。何よりも、日本の企業の雇用慣行が、「学士新卒」に圧倒的に有利になっている現状に大きな原因がある。産業界・生涯教育・大学改革は一体のものとして捉えなければならないはずだ。 90年代から広がった「新自由主義的競争」は、大学界を大きく変えた。しかしそもそも、一元的・客観的な評価が難しく、成果が長期的な面をもつ「教育」という課題に対して、「新自由主義的競争」は有効なのだろうか。 さらに、大学の管理運営についてもしかり。企業経営と異なるのは、大学には「自治の原則」が必須条件となることだ。大学は「構成員箇々が自ら考える組織」でなければならない。しかし、マクロ政策は「国」が決め、そのもとで「学長」に極めて大きな権限を集中させ、決定させるとういモデルは、「企業経営モデル」とも言いがたい。「共産主義モデル」(アカウンタビリティーの過度な強調)のようでもある。 数字で表せる合理性、数字で表せない合理性、個人にとっての合理性、社会にとっての合理性。合理性には様々な観点があるはずだ。 昨今の「新自由主義」の大学政策。成否を一面的に捉える嫌いがあるようにあるように思われる。「多様化」が進む中で「矛盾」とも思える傾向である。 最後に、デビッド・リースマンの言葉にインパクトがあった。アメリカの大学の決定的な存在理由は資格認定であるかも知れないとして、「何らの教育をほどこさない「大学」もそれが授ける学位授与のゆえに市場を見つけることが可能である」(p.250)とする。 現在の日本の大学が直面している「人材選抜機能の劣化」と「大学教育の有用性に対する人々疑念」。これらに改善策が見つからなければ、日本の大学はアメリカの「ティプロマ・ミル」のようになってしまうのだろうか。なんとも残念な話である。
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